シェイクスピアと家族の関係を豊かなニュアンスをもって描いた歴史小説 Hamnet

作者:Maggie O’Farrell
Publisher : Knopf
発売日:July 21, 2020
Hardcover : 320 pages
ISBN-10 : 0525657606
ISBN-13 : 978-0525657606
適正年令:PG15+(大人向けだが高校生が読んでもよい)
難易度:9/10(文章に含まれたニュアンスを理解するためには英語の文芸小説を読み慣れている必要がある)
ジャンル:歴史小説
キーワード/テーマ:ウィリアム・シェイクスピア、アン・ハサウェイ、ハムネット、ハムレット、ストラットフォード・アポン・エイボン、疫病、腺ペスト
2021年これを読まずして年は越せないで賞候補

16世紀後半から17世紀にかけて劇作家として活躍したウィリアム・シェイクスピアは、18歳のときに8歳年上のアン・ハサウェイと結婚した。結婚したとき、アンはすでに妊娠していた(当時それは珍しいことではなかった)。2人の結婚に至る背景やアン・ハサウェイに関する記録がないために、歴史学者を含む多くの者(特に男性)は「売れ残りの女性が若い男をたぶらかして結婚にもちこんだ」といったニュアンスの解釈をしてきた。

十代の頃からシェイクスピアの『ハムレット』に惹かれてケンブリッジ大学で文学を学んだMaggie O’Farrellは、こういった解釈にずっと疑問を抱いていたようだ。

ウィリアム・シェイクスピアの父ジョン・シェイクスピアは革手袋の生産販売で成功した商人であり、町長に匹敵する地位に就くほど政治的にも力があった。しかし、不正取引で訴訟され、三男のウィリアムがアンと結婚したときには富も名誉も失っていた。一方のアンの家族は裕福な羊農家であり、亡くなった父から受け取った財産もあった。それに当時の女性にとって26歳は結婚適齢期であり、18歳で手に職のないウィリアムよりもアンのほうが結婚に有利な立場にあったのだ。

シェイクスピアは、妻と長女のスザンナ、男女の双子であるハムネットとジュディスを故郷に残して単身でロンドンに行って劇作家として成功した。それを妻への愛情のなさだと解釈する者もいるが、彼は家族にお金を送り続け、引退後には故郷に戻って妻と一緒に暮らした。2人の間には、私たちが知らない深いつながりがあったのではないだろうか。

O’FarrellのHamnetは、そんな疑問に対するひとつの答えをフィクションにしたものだ。彼らの関係の中心にあるのが、11歳で死んだ息子のハムネットだ。シェイクスピアはその4年後に有名な悲劇『Hamlet』を発表したが、当時はHamnetとHamletは同じ名前とみなされていた。だから、シェイクスピアが息子の名前で悲劇を書いたのには何か深い理由があるはずだ。

小説Hamnetは、11歳のハムネットが誰もいない家の中を彷徨うところから始まる。いつもなら、祖父母、母、姉、双子の妹、革手袋見習い職人、召使いでにぎやかな家なのに、名前を呼んでも誰も応えない。実際は偶然に誰もいない時間帯だっただけなのだが、すでに彼が幽霊になったような印象を与える。

この小説では、2つの異なる時間が交互に流れている。ひとつは運命的な日にスタートし、もうひとつは18歳のウィリアムが26歳のアンに出会ったところから始まる。けれどもこの小説には「ウィリアム・シェイクスピア」は出てこない。彼は18歳のおどおどしたThe Latin Tutorであり、結婚後は2つの人格を持つHusbandになり、3人の子供にとっては常に帰宅を待ち望むFatherである。そして、アンはAnneではなく、Agnesだ。その名前にこれまで遭遇したことがなかった彼は頭の中でその音を「Ann-yie, Agn-yez」と反復する。他の者には見えない真実や未来が見えるアグネスとの出会いは、革手袋職には興味がない夢想家の若者にとって運命的なものだった。

アグネスは、夫が暴力的な父親から離れて幸せになれるよう策略し、それが成功して夫はロンドンで生まれ変わったように才能を発揮する。しかし、そのためにアグネスは自分の幸福を犠牲にすることになる。ハムネットの致命的な選択も、それに似たものだった……。

 

この小説を読んでいる最中にふとワインのことを連想した。いったん高級で美味しいワインの味を知ってしまうと、以前満足していた「安くて美味しい」ワインをありがたく思うのが難しくなってしまう。なぜかというと、高級なワインには味と香りにレイヤーがあるからだ。O’Farrellの文章には、その「高級美味しいワイン」的なところがある。

腺ペストがイギリスのウォリックシャーにたどり着く「バタフライエフェクト」を起こしたムラノのガラス職人とアレクサンドリアで下船したキャビンボーイの逸話は、小説の主要なテーマとは無縁なのに、鮮やかな印象を与える。こういった描写が、この小説をさらに味わい深くしている。

最後のシーン(特に最後の1行)には鳥肌が立った。

また来年読み直したいので、2021年のこれ読ま候補に今から挙げておきたい。

 

 

3 thoughts on “シェイクスピアと家族の関係を豊かなニュアンスをもって描いた歴史小説 Hamnet

  1. 私はまだ読んでいないのですが、「今年話題になっている本のようなのに、洋書ファンクラブでは取り上げられていないなぁ」と思っていたところでした。シェイクスピアの子どもたちについては全く知識がなかったのですが、ケネス・ブラナー監督・主演の映画『All Is True』を観て興味を持ったので、この本も読んでみたいと思っています(でも難しそうですね・・・笑)。

  2. 前のコメントを書いてから一年以上経ってしまいましたが、やっと読めました。なんともいえない幻想的な雰囲気を感じる小説でした。

    映画『All Is True』では、シェイクスピアの娘のスザンナとジュディスがストーリーの大きな要になっていて、Hamnet の死因もこの小説とは違っていました。

    記録がないので、いろいろな解釈から違った作品を創造できる楽しさみたいなものも感じました。

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