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太平洋戦争で日本軍捕虜になったオーストラリア人の生涯を通して人間の本質を語る力作『The Narrow Road to the Deep North』

著者:Richard Flanagan
ハードカバー: 464ページ
出版社: Chatto & Windus(米国ではKnopf)
ISBN-10: 0701189053
発売日: 2014/7/3
適正年齡:PG 15(高校生以上。性的なシーン/残酷なシーンあり)
難易度:上級レベル(時間と視点が飛ぶので、流れを把握しにくいかもしれない)
ジャンル:文芸小説/歴史小説(太平洋戦争)
キーワード:太平洋戦争、東南アジア戦線、日本軍戦争捕虜収容所、泰緬連接鉄道(Thai-Burma Railway)、死の鉄道(Death Railway)、小林一茶、芭蕉、『奥の細道』、『戦場にかける橋』、悲恋
賞:2014年ブッカー賞候補作

邦訳版が2018年になってようやく出ました。

オーストラリア人Dorrigo Evansは、生まれ育った貧しい環境を抜けだして医師になったが、勃発した太平洋戦争で日本軍の捕虜になってしまう。日本軍は、タイとビルマを結ぶ「泰緬連接鉄道(Thai-Burma Railway)」の建設のために捕虜を奴隷として酷使する。捕虜たちのリーダーであり軍医のDorrigoは、飢え、マラリア、コレラで死に瀕する兵士を救おうとするが、無力感に苛まれる。

戦後「英雄」として讃えられ、外科医としても有名になったDorrigoだが、常に挫折感と後悔にかられている。多くの捕虜の命を救うことができなかったし、戦争の前に愛した叔父の妻が一生忘れられずに結婚後も多くの女性と情事を持ち続け、尊敬される価値などない人間だと思っている。


文学を愛するDorrigoは、理解を超えるような人間の残虐さや、不条理に出会うとき、松尾芭蕉の俳句『奥の細道』などを思う(タイトルはここから来ている)。小林一茶の「露の世は露の世はながらさりながら(A world of dew / and within every dewdrop / a world of struggle)」という有名な俳句も出てくる。だが、捕虜の首を切る興奮を語る残忍な日本人将校二人もまた、俳句を愛する者なのである。美しい文化を持つ日本の二面性や、人間性の複雑さ、芸術の限界を、俳句を利用することで巧みに伝えている。

昭和生まれの人なら『戦場にかける橋』という映画を覚えているかもしれない。
『戦場にかける橋』では捕虜がイギリス軍だったが、この小説ではオーストラリア人である。
どちらも、実話を元にしたものだ(前者は著者ピエール・ブール自身の体験、後者は著者の父親の体験)。日本軍が捕虜に対してジュネーブ契約に違反する残虐な扱いをしたことは、多くの記録から明らかである。
「泰緬連接鉄道(Thai-Burma Railway)」について興味がある方は、History Channelとナショナルジオグラフィックが作ったドキュメンタリーをYouTubeで観ることができる(公式は>The True Story of the Bridge on the River Kwai )。写真に残っている日本人将校に比較して捕虜たちは極端に痩せこけている。アウシュビッツ強制収容所で観たユダヤ人の写真とそっくりだ。

ナチス・ドイツがユダヤ人に対して行った残虐な行為についてのノンフィクションや小説も、このブログではよく紹介する。それらについては一度として日本人読者から非難されたことはないが、太平洋戦争(第二次世界大戦)中の日本軍の残虐な行為について書かれた書物を紹介すると、必ずと言っていいほど「あなたは、日本人でありながらこの本を推薦するとは左翼の方ですか?」といった攻撃的なコメントがやってくる(正当な批判コメントは載せるが、そうでないものは載せないポリシーなのであしからず)

私は、日本人として、加害者としての歴史を知るのは非常に重要だと思っている。
ノンフィクションでも、フィクションでも、「そんなのは事実と反している!」と反応する人が多いが、詳細の誤差を例にあげて反論しても「外国の記憶に残っているのは、こういう日本だ」という事実は変わらない。その事実を受け入れずにして、ナチス・ドイツの残虐行為を他人ごとのように批判する権利なんかないと思う。

しかしながら、Richard Flanaganの『The Narrow Road to the Deep North』を「戦時中の日本軍の残虐行為を非難するための小説」として読むのは間違いである。

これは、理解不能な人間の残虐さを体験し、愛を失い、人生を疑いながらも生き続けた男の葛藤の物語なのである。つまり、オーストラリア人Dorrigoにとっての「奥の細道」なのだ。

最近ではあまり見かけない、伝統的な正統派の小説といえるかもしれない。

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