作者:Tommy Orange(デビュー作家)
ハードカバー: 304ページ
出版社: Knopf
ISBN-10: 0525520376
発売日: 2018/6/5
適正年齢:PG15
難易度:上級(ネイティブの普通レベル。アメリカに住んでいない者にとって会話や歴史の理解は難しいかもしれない)
ジャンル:文芸小説
テーマ/キーワード:アメリカ先住民、インディアン、民族浄化、インディアン戦争、カリフォルニア州オークランド市、貧困、アルコール依存症、機能不全家族、家庭内暴力、ガートルード・スタイン、Native Americans, American Indians, Natives, Gertrude Stein
アメリカでは11月の第四木曜日に家族が集まって感謝祭(Thanks Giving)を祝う。
そして、小学生たちは、アメリカに入植した清教徒のピルグリムや先住民のインディアンの衣装を着て、アメリカの感謝祭の歴史を学ぶ。
その歴史とはこういうものだ。イギリスでの宗教弾圧を逃れてマサチューセッツ州のプリマスに住み着いたピルグリムが作物を栽培できずに飢えそうになっていたときに、その地の先住民であったワンパノアグ族(Wampanoag)が食物を分け与え、栽培の知識を与えた。そのために生き延びることができたピルグリムは、収穫が多かった翌年にワンパノアグを招いて宴会を行った。それが感謝祭の始まりだと言われている。
だが、ピルグリムを始めとする入植者とインディアンの関係は、小学生が学んだような心温まるストーリーではなかった。
免疫がないインディアンの多くが、入植者の持ち込んだ疫病で死んだが、それだけではない。白人の入植者らは、自分たちを救ってくれたワンパノアグ族の土地を奪い、女や子供を奴隷として売り飛ばした。そして、それに抗議した酋長を毒殺し、後続の酋長が抵抗の戦いを挑んたときにはワンパノアグ族を壊滅状態にした。勝利した白人入植者は酋長の頭を槍の上に指して、見せしめとして飾った。このときに惨殺されたインディアンは他の族も含めて約4000人と言われる。
その後も、白人たちはアメリカ全土でインディアンから土地を奪い、虐殺し、奴隷にし、作物が採れない場所に追いやったのだ。
感謝祭に七面鳥の丸焼きを食べながら家族団らんをするアメリカ人のほとんどが、この残酷な歴史を知らないか、無視している。先住民に対するアメリカの白人の態度は、おもに「過去のことにこだわっているから前に進めないのだ。さっさと忘れて、自分たちの暮らしを良くするために努力したらどうだ?」というものだ。
だが、現在のインディアンのコミュニティが貧困、アルコール依存症、家庭内暴力といった社会問題を抱えている根本的な原因は、この血みどろの歴史にあるのだ。それなのに、どうすれば忘れ去ることができるのか?
デビュー作家トミー・オレンジ(Tommy Orange)の『There There』の根底には、その血みどろの歴史と行き場のない憤り、そして未来への迷いがある。
この小説には、カリフォルニア州オークランドに住むインディアンの血筋を引く者が多く登場する。
アルコール依存症の母から生まれた胎児性アルコール症候群の男、資金提供を受けてインディアンとしての体験談をフィルムにしようとする若者、母に連れられてインディアンによるアルカトラズ島占拠に参加させられた姉妹、大学でインディアン文学を専攻したが就職口がなくて母の家で引きこもりになっている男、16歳のときにレイプされて生まれた娘を養子に出した女性、裕福な白人家庭に引き取られたためにインディアンとしてのアイデンティティを後に得た女性、子育てを放棄した姉の孫たちを育てる女性。祖母が隠していたインディアンの衣装を取り出して身につける孫など多様だ。一見、何の関係もないような人々だが、インディアンのお祭りであるPow Wowで劇的に繋がる。
タイトルになっている「There There」は、通常はがっかりしている人や泣いている人をなだめるためにかける言葉だ。日本語なら「よし、よし」という感じだろうか。ラジオヘッドの有名な曲「There There」も連想するかもしれない。
だが、この小説のタイトルは、作家で詩人のガートルード・スタインの『Everybody’s Autobiography』からの有名な引用「there is no there there(そこには、「あそこ」がない)」から来ている。1880年代にカリフォルニア州オークランドで子供時代を過ごしたスタインは、1935年に45年ぶりに故郷を訪問した。だが、オークランド市はスタインの子供時代から10倍の大きさに成長しており、牛や馬がいた懐かしい「あそこ」の風景が消えていた。その切なさが、「there is no there there」という表現になったのだ。
作者のオレンジもオークランドに住んでいる。この地に住むインディアンは、インディアン保留地ではなく都市を選んだ者だ。だからといって、彼らのすべてが同じ理由でここに住んでいるわけではない。そして、インディアンというアイデンティティに対する考え方も、プライドも異なる。
そもそも、「先住民」の呼称についても、一致してはいない。アメリカの白人は、ポリティカル・コレクトネスで「Native American(ネイティブ・アメリカン/アメリカ先住民)」と呼ぶが、自分たちをそう呼ぶインディアンなどはいないとオレンジは書いている。彼らの間では、Nativeという呼び方が多いようだ。私の別の記事について「インディアンという呼び方はしてはならない」と忠告した日本人がいたが、Indianも彼ら自身が選んで使う呼称だし、公式文書にも使われている。尋ねる人によって、それぞれの呼称に対する考え方は異なるのだろう。
そういったことも含めて、この小説に描かれているインディアンの歴史や文化、生活を、アメリカに住む私たちはほとんど知らない。マジョリティの白人だけでなく、移民や黒人についての本は沢山あるのに、この国に最初から住んでいた生粋のアメリカ人を伝える本は少ないし、あまり読まれていない。
それを、オレンジのこの本は変えてくれそうだ。
オレンジのデビュー作の根底には、「自分の国を奪われ、自分たちが先に住んでいたというのに、侵略者たちから異邦人のように扱われているインディアンたちが、どうやって民族の文化と歴史、そしてプライドを維持していけば良いのか?」という問いかけがある。
その問いに、私たちは答えることはできない。
けれども、内容を少し変えれば、これはどの民族や国民にとっても普遍的な問いかけになる。
民族、人種、宗教など、それぞれが持つ独自の歴史を、私たちは背負って生きている。その歴史が辛いものであっても、それが現在の自分を壊すものであっても、レガシーとして引き継ぐべきものなのか。それとも、切り捨てるべきなのか。誰もが迷いながら生きている。
私たち誰もが、スタインが感じた切なくて苦いノスタルジアの「there there」を知っている。
だからこそ、オレンジの本は、すべての読者に訴えかける力を持っている。
力強い小説でした。登場人物の人間関係にやや混乱しつつも、ぐいぐい引っ張られて読みました。それぞれの登場人物のアイデンティティへの向き合い方の違いが、私にはいちばん興味深かったです。渡辺さんのおっしゃる「血みどろの歴史と行き場のない憤り、そして未来への迷い」が、痛いほど心に突き刺さってきました。少し前に見たオーストラリアについてのテレビ番組でアボリジニの女性が「私たちが先に住んでいたのに、権利を求めて闘わなければならないなんて・・・」と言っていたのを思い出しました。絶望的ではないけれども希望がそれほどあるわけでもない結末は、現状をよく表しているのだろうと思いました。
Sparkyさん、
お返事が遅れてしまいました。
ほんとに、この小説は読みごたえありますよね!
今年の「これ読ま」候補になりそうですので、ツイッターのほうでぜひご参加くださいませ!