作者:Pip Williams
Publisher : Ballantine Books
刊行日:April 6, 2021
Hardcover : 400 pages
ISBN-10 : 0593160193
ISBN-13 : 978-0593160190
適正年齢:一般(PG12、妊娠のトピックはあるが性的なシーンはない)
読みやすさ:7
ジャンル:文芸小説、歴史小説
キーワード、テーマ:オックスフォード英語辞典、lexicographer(辞書編集者)、Scriptorium(写字室)、women’s suffrage(女性参政権運動)、第一次世界大戦、女性研究者、言語
現代に生きる私たちにとって、辞典はあってあたりまえのものであるし、最近ではネットで簡単に単語の意味を調べられるから紙媒体の辞典を買う必要もなくなっている。そんな現代人にとって、オックスフォード英語辞典が最初に生まれたときの努力を想像することは難しい。編纂の企画がスタートしたのは1857年のことで、AとBの第一巻が刊行されたのは1888年、10巻すべてが刊行されたときには1928年になっていた。編集の指揮を取ったのはJames Murray博士で、オックスフォードにある自宅の裏庭に小屋を建て、それを「scriptorium(写字室)」と呼んで編集のオフィスとして使った。そのscriptoriumの壁に整理棚を作り、そこに単語と引用例を書いたカードを入れていく方式を取っていた。
多くの専門家が努力をしても、意図せずに抜け落ちた単語はあった。最初に刊行されたAとBの巻でMurrayが抜けを認めたのが“bondmaid”という単語だった。賃金なしに一生誰かに仕えなければならない女性(つまり奴隷の身分の女)のことである。
Pip WilliamsのThe Dictionary of the Lost Wordsは、この史実にインスパイアされた歴史小説だ。この小説では、Murrayのもとで働く辞書編集者の幼い娘が床に落ちたカードを拾ったのがbondmaidが抜け落ちた原因になっている。
母親が亡くなってから父親がひとりで育てているEsmeは、scriptoriumで育ったようなものだ。言葉を宝物のように集めてスーツケースにしまい込んでいる。多くの辞書編集者はEsmeが机の下に隠れているのを気にしていないが、そのうちにEsmeが単語を盗み出しているという噂が立ち、出入りしにくくなる。
学校教育を終えたEsmeはscriptoriumで働くことを希望し、Murrayに雇ってもらったものの、男性と同等の仕事や地位を与えてはもらえない。子供の頃から辞典に含まれる単語と排除される単語の違いが気になっていたEsmeは、辞典に含まれる決定をされる単語は上流階級や知識階級の男性が使うものだけだということに気づく。そして、辞典に含まれない女性の言葉、特に労働者階級の女性が普段使っている単語を集めるようになる……。
最初のオックスフォード英語辞典の編集では、Murrayの妻や娘たち、そしてこの小説ではEsmeの叔母として登場する女性たち(実存)など、多くの女性が貢献していた。しかし、全巻が完成したときの祝宴に招かれたのは男性だけだった。また、どの単語を辞典に含め、どの単語を含めないかという決定を下すのも男性のみだった。この小説は、そのために失われた言葉や、使った女性たちの社会的な立場などに思いを馳せるものだ。
中心になっているテーマは言語だが、イギリス社会を急速に変えていった女性参政権運動や第一次世界大戦も描かれている。
展開がスローなために最初は入り込みにくいし、ハッピーになれる箇所も少ない。けれども、時間をかけて調査した作者の熱意が伝わってくる上質の小説であることは確かだ。
偶然にも、今朝読んでいたニューヨーク・タイムズ紙で、カナダ版のオックスフォード英語辞典を最初に編集したKatherine Barberが亡くなったことを知った。彼女がオックスフォード大学出版から雇われてこの企画を始めるまでは、カナダ英語の辞典はなかったのだという。言葉を集めるときに「低俗な小説」を参照にしたという部分を読み、まさにEsmeだと思った。