1950年代に女性として初めてアパラチアン・トレイルを単独で歩き通した「グランマ・ゲイトウッド」の驚愕の達成をしみじみ感じたノンフィクション Grandma Gatewood’s Walk

作者:Ben Montgomery
Publisher : Chicago Review Press; Illustrated edition
刊行日:April2014
ハードカバー : 288 pages
ISBN-10 : 1613734999
ISBN-13 : 978-1613734995
適正年齢:PG14(高校生以上)
難易度:6(日本で英語教育を受けた人に読みやすい文章)
ジャンル:ノンフィクション、伝記、歴史
キーワード:アパラチアン・トレイル、偉業をなした女性、家庭内暴力(DV)
賞:2014年全米図書賞受賞作(歴史/伝記)

パンデミックでキャンピングが趣味になった夫の影響で私も「キャンピングカーならOK」と参加するようになった(子供の時のキャンプ体験がトラウマになっているのでテントはお断り)。5月上旬はニューハンプシャー州のホワイトマウンテン、中旬にはメイン州のアーカディア国立公園でキャンプをした。キャンプのリクリエーションには豪華レストランでのディナーなどはない。1日中身体を使って疲れ切るハイキングやカヤックの毎日だ。60歳を過ぎてからこんなタフなバケーションをさせられるとは想像してもいなかった(苦笑)。

アーカディア国立公園への運転には5時間ほどかかる。夫から「何かオーディオブックを聞こう。候補をみつけて」と依頼されて思い出したのがGrandma Gatewood’s Walk: The Inspiring Story of the Woman Who Saved the Appalachian Trailだ。

刊行されたときに「読もう」と思っていたのについ読み逃してしまう本がかなりあるのだが、これもそのひとつだった。

エマ・ゲイトウッドは、女性として初めてアパラチアン・トレイルを最初から最後まで歩いた人物としてアメリカではかなり名前が知られている。それだけでなく、かなりエキセントリックだったとも言われている。でも、この本を読む(聴く)と、「エキセントリック」が間違った表現だということがわかる。英語ならremarkable (卓越した、非凡な)という表現のほうが適切だろう。

アメリカ東部をアパラチアン山脈に沿って南北に縦貫するアパラチアン・トレイル(略称A.T)は、ジョージア州からメイン州まで全長約3500kmの長距離のトレイルだ。「自然歩道」という邦訳を読むと散歩道を想像するかもしれないが、甘く見ていると死亡する危険がたっぷりの非常にタフなトレイルである。

エマ・ゲイトウッド(通称グランマ・ゲイトウッド)がアパラチアン・トレイルを歩く夢を抱いたきっかけは医院の受付にあった古いナショナルジオグラフィックの雑誌だった。そこの特集記事で描かれていたアパラチアン・トレイルは美しくて誰でも歩けそうだった。だが、11人も子供がいたエマはすぐには行動に移すことはできない。子育ての責任を終え、お金を貯めて準備できたときにはエマは66歳になっていた。最初エマは北部のメイン州から7月にスタートした。だが、それは屈辱の失敗に終わった。それでもエマは挫折せずに準備をやり直して67歳で再挑戦をした。今度は南部のジョージア州から5月にスタートし、メイン州に厳しい冬が到来する前に歩き終えるという計画だった。エマがスタートしたのは、1955年5月だった。

驚くことに、エマはスリーピングバッグ(今ほどのハイテクではないが、スリーピングバッグは当時もあった)も、テントも、バックパックも持っていなかった。手作りの袋に最低限度の必要品を詰めて左肩に担ぎ、右手には杖を持っていた。そして夜になると、枯れ葉を集めてその上で寝たりした。ピクニック用のテーブルで寝たこともある。ハイキング用の防寒服ももちろん持っていなかったので、雨で濡れたら自分で焚き木を作って暖を取ろうとした。毒蛇を踏みかけたこともあるし、大小の野生の動物から襲われる危機もあった。濁流に流されそうになったこともある。

当時はまだアパラチアン・トレイルはさほど知られていなかったので挑戦する人も少なかった。メンテナンスができていない場所や危険な場所も多く、きちんと標識がないために迷いやすい状態だった。そんなトレイルを恐れもせずに歩き続けるエマにメディアが注目しはじめ、途中で待ち構えて取材するようになった。エマがメイン州でゴールに達したときには、「グランマ・ゲイトウッド」はすでに全米で有名人になっていた。

私は簡単なルートながらもトレイルランニングは10年以上続けているし、ハイキングも1日15kmほどならしょっちゅうやっている。今月はその累計で250kmを達成した。だから歩くのには慣れているほうだと思うのだが、エマが成したことの100分の1でもできる自信はない。

エマのおかげで、アパラチアン・トレイルはメンテナンスがされるようになり、危険な場所は別の迂回ルートに変更され、整備もされるようになった。その現在であっても、ホワイトマウンテンのトレイルはタフだ。ちょっとつまずくと転落して死亡するような場所や転んだら骨折間違いなしの岩だらけの坂もかなりある。そういったルートですら、「あそこは怖かった。きっと超難関だよね」と後でAllTrailsというアプリでチェックするとホワイトマウンテンでは「moderate(中程度)」の評価になっていて唖然とする。エマが歩いた(ときには崖を登り、崖を飛んだ)のは、それ以上に危険な場所だったのだ。

「ここからのトレイルは直角近い上り道になり、鉄のはしごにつかまって崖を登る必要があります。この山から落ちると大怪我か死に至ることがあります」という警告。

 

グランマ・ゲイトウッドを紹介する児童書は日本でも『エマおばあちゃん、山をいく~アパラチアン・トレイルひとりたび』として刊行されている。絵が可愛くて親しみがわきやすいが、この本ではなぜエマがこれほどタフなトレイルを歩こうと思い、歩ききることができたのかを語っていない。アパラチアン・トレイルがどんなにタフなものかも想像できない。

ベン・モンゴメリーの本が特別なのは、それらをしっかり書いていることだ。エマ・ゲイトウッドは、若くして結婚した相手から長年心身の虐待を受けてきた。性的な虐待から逃れることもできず、その結果が11人の子供の出産だった。逃げたこともあるが、子供のために戻り、再びひどい虐待にあった。そのうえ、夫は友人の保安官に頼んで怪我をしているエマを逮捕して投獄させた。エマはついに夫を離婚することができたが、それは何十年もの虐待の後だった。夫の虐待に比べたら、アパラチアン・トレイルでの凍死しそうな氷雨も、毒蛇も、飢えもたいしたことがなかったのだろう。そして、11人の子供を育てた後では、自分ひとりで歩くというのも贅沢な一人時間に感じたのだと思う。子どもたちには「ちょっと散歩に行くわ(I’m going for a walk) 」としか伝えていなかったらしい。


(トレイルでは橋がない川を歩いて渡らなければならないこともある)

ハイキングで少し困難な場所にさしかかるたび、夫と私は「グランマ・ゲイトウッドならこんなの散歩レベルだよね」というのを合言葉にして歩き続けた。でも、ハイテクのダウン・ジャケットを着ているのに寒がっている私たちは本当にヤワだともしみじみ思った。

グランマ・ゲイトウッドは、「妻を殴る男よりも夫に殴られたサバイバーの女性のほうが絶対に強い」ということを教えてくれた貴重な人物でもある。

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