「過去は忘却したほうがいいのか?」新作でのカズオ・イシグロの問いかけ The Buried Giant

著者:Kazuo Ishiguro
ペーパーバック: 336ページ
出版社: Knopf
ISBN-10: 030727103X
発売日: 2015/3/3
適正年齢:PG15(高校生以上)
難易度:上級(文章そのものはシンプルだが、理解できるかどうかとなると難しい)
ジャンル:文芸小説/ファンタジー
キーワード:アーサー王伝説、ギリシャ神話、ドラゴン、魔術、クエスト、忘却、許し、復讐、死、夫婦愛、ラブストーリー

侵略者のSaxonを倒して英国を統一したBritonの指導者King Arthur(アーサー王)が亡くなった後、国は謎めいた霧に包まれていた。

AxlとBeatriceが暮らしている小さな村では、人々は住民の過去を問わないばかりか、思い出すこともできないようだ。けれども、Beatriceはあるとき自分たちに息子がいたことを思い出す。村人に冷遇されている老夫婦は、何年も会っていない息子を訪ねるために村を離れて旅に出る。

途中で立ち寄ったサクソン人の村で、ふたりはSaxon(サクソン人)の戦士Wistanと孤児の少年Edwinに出会う。Wistanは母国の王からドラゴンのQuerigを退治するよう命じられており、母を探し求めるEdwinを弟子として連れて行くことにする。

それぞれに異なる「クエスト」がある4人は、旅を共にするうちにアーサー王の甥で英雄のSir Gawainに出会う。Gawainは明らかにしないが、彼はAxlの過去をよく知っているようだ。そして、サクソンの戦士とも深い因縁で繋がっていた。

*** *** ***

カズオ・イシグロは、常に異なるジャンルに挑戦する作家として知られている。

The Remains of the Day Never Let Me Goはどちらも名作だが、タイプは全然ちがう。前者が好きだった姑に『Never Let Me Go』が刊行されたときに贈ったら「変な本だったわ」と捨てられてしまった。

今回もまた、これまでとは違う。

アーサー王伝説だけでなく、英国の古い抒情詩Beowulf(ベオウルフ)、ギリシャ神話のCharon(カロンの渡し守)、などいろいろな伝説や神話が混じっているファンタジーである。だが、Tolkienのようなエピックファンタジーでもないし、単純に「ドラゴンを倒すクエスト」でもない。どちらかを期待すると、それらを読み慣れている人はがっかりするだろう。

また、アーサー王が君臨した後なら6世紀くらいの筈だが、その時代を忠実に表現しているわけでもない。霧に包まれたこの英国は、過去でも現在でもない不思議な時間帯にある。

じつは、この霧がこの小説にとって非常に重要な存在なのだ。

(ややネタバレなので次は白文字にした。読みたい人はカーソルを当てて読んでほしい)

Axlはアーサー王に使えた参謀/外交官で、BritonとSaxonが闘ったとき、Saxonの戦士は殺しても「女子供は殺さない」という合意を作り、それをSaxonの村々に伝えていった人物だった。けれども、終わりなき復讐の鎖を切るためにアーサー王は女子供も皆殺しにするようBritonの戦士たちに命じ、味方の酷い虐殺を目撃したAxlは、戦士たちの前でアーサー王を詰り、辞任したのだった。

アーサー王は、相談役のMerlin(マーリン)にドラゴンのQuerigに魔法をかけ、人々の記憶を消す霧を吐かせるように命じる。子孫が過去の争いを覚えている限り、復讐の鎖を切ることができないからだ。平和を維持するためには、人々は過去を忘れたほうがいい。それがアーサー王の信念だった。

旅に出たAxlとBeatriceは、存在を忘れていた息子に会い、若い頃の愛の記憶も取り戻したいと願う。それらがかなったら、きっと互いへの愛の絆も強くなると。けれども、隠れていた記憶が少しずつ浮かび上がるたび、心の傷、憎しみ、嫉妬、後悔も浮かび上がってくることに気づく。忘れていたほうが、相手を許せるのかもしれない……。

忘却に対する老夫婦の葛藤は、BritonとSaxonの関係にも通じる。

特に戦争や殺戮に関して「過去の失敗を繰り返さないためには、過去を忘れてはならない」と言われるが、もしかするとそうではないのではないか? この小説は、そんな問いかけもしている。

オーディオブックを聴きながら森で散歩

オーディオブックを聴きながら散歩した森

この本は、オーディオブックとキンドルを混ぜながら読んだのだが、特に森で散歩をしながら聴くオーディオブックが良かった。この風景がAxtとBeatriceの旅に混じりあい、まるで自分も一緒に旅をしているような気持ちになった。

不思議な偶然といえば、この散歩中に出会った近所の老夫婦と立ち話をしているうちに「アーサー伝説」の話題になったことだ。Kazuo Ishiguroの本を聴いている途中だとは言わなかったのに。

私はイシグロより6つ年下の同年代だ。

この歳になると、人生の終わりを自分のこととして捉えるようになる。愛情についても、燃えるような若い恋ではなく、終わりを見つめた静かな愛のあり方を考える。だからなのか、イシグロが込めた思いが伝わってくるような気がした。

若い読者には退屈な部分が多いかもしれないが、AxlとBeatriceの「クエスト」はしみじみと私の胸に響いた。

渡辺由佳里 Yukari Watanabe Scott についてhttp://youshofanclub.comエッセイスト、洋書レビュアー、翻訳家、マーケティング・ストラテジー会社共同経営者。兵庫県生まれ。 助産師としてキャリアをスタート。日本語学校のコーディネーター、外資系企業のプロダクトマネージャーなどを経て、 1995年よりアメリカに移住。 2001年に小説『ノーティアーズ』で小説新潮長篇新人賞受賞。翌年『神たちの誤算』(共に 新潮社刊)を発表。他の著書に『ゆるく、自由に、そして有意義に』(朝日出版社)、 『ジャンル別 洋書ベスト500』(コスモピア)、『どうせなら、楽しく生きよう』(飛鳥新社)など。 最新刊『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社) ニューズウィーク日本版とケイクスで連載。 翻訳には、糸井重里氏監修の訳書『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社)、『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)など。 連載 Cakes(ケイクス)|ニューズウィーク 日本版 洋書を紹介するブログ『洋書ファンクラブ』主催者 Author, translator, and English book reviewer for Japan Market. Author of "500 best books written in English" for the Japanese market. English book reviewer for Newsweek Japan. Amazon.co.jp Top 500 reviewer.

「過去は忘却したほうがいいのか?」新作でのカズオ・イシグロの問いかけ The Buried Giant」への7件のフィードバック

  1. 渡辺さん、こんにちは。遅くなりましたが、ブログのお引越しおめでとうございます。

    カズオ・イシグロの小説は『The Remains of the Day』と『When We Were Orphans』と『Never Let Me Go』の3冊を読んだことがあります。本当にジャンルがいろいろですね。今回の新刊のニュースもしばらく前に見たのですが、ファンタジーなんですね。ふだんファンタジー作品はほとんど読まないのですが、渡辺さんの書評を読んで興味が湧いてきました。

    ところで、前のブログにあった「最近のコメント」へのリンク欄は、今回意図して外されているのでしょうか。他の方のコメントを読むのも好きなので、あったらうれしいのですが、どうでしょうか。

    いいね

    • Sparkyさん、

      お返事が遅くなってごめんなさい!
      メールいただいて探したら、スパムホルダーに入っていました。なんてことでしょー!

      「最近のコメント」の表示の仕方をまだチェックしていないので、これから調べて載せられるようにしますね。まだWordPressに慣れていないので、いろいろ不十分なところがあります。気づいた点をどんどん教えてくださいね。
      皆さんが大事に思っているところから直していきますので。

      これからもよろしく!

      渡辺

      いいね

  2. この小説は、読むうちに断片的な情報が繋がってくる筆致で書かれているので、序盤・中盤・終盤と、読むたびに印象の変わる不思議な小説ですね。まるで私も主人公たちと同様、曖昧模糊とした霧の中を、記憶の断片を辿って旅をしているような気持ちになりました。
    Britainの老騎士Gawainと、Saxonの若き戦士Wistanの描かれ方が対置的で、印象的でした。前者は竜を守ることで人々の記憶の回復を阻み、平和を保とうとしますが、後者は竜を退治し、人々の記憶の回復を図ろうとします。彼らの対峙から、記憶は消せても事実は消えないという真実が浮かび上がってくるようでした。
    それだけにラストシーンを読むと、人々が記憶を取り戻したあとの世界に一抹の不安が残りました。ただ、物語の最後近くにWistanの憎しみに基づく信念が揺らぐ場面、そして彼の弟子である少年が、「師はBritainを憎むことを私に約束させたが、(主人公夫婦を見て)この老夫婦のことではないはず」と考える場面に、一縷の救いを見ました。負の記憶を乗り越えるヒントは作品では明示されませんが、歴史に終わりはなく、あらゆる記憶の先にどう生きるかは読者一人ひとりが考えなければならない問題なのかしら・・・と勝手に思っております。

    長いコメントでごめんなさい。

    いいね: 1人

  3. Yukoさん、そうですよね。この小説には、実際の私たちの世界のように主人公が沢山いて、それぞれが「過去」と「真実」の意味に対峙しなければならない。その部分がとても魅力的でした。GawainとWistanにとっての竜への考え方とかもそうですよね。

    この本を薦めた娘とも語り合ったのですが、違う部分に心惹かれたりしていて、面白かったです。

    いいね

  4. これも図書館の棚にやっと御目見えしました。主人公夫婦の過去にいったい何があったのかが気になって、どんどん読み進めることができましたが、過去の記憶には忘れたほうがいいものがあるのかというテーマは重く、いろいろな考えが頭の中でグルグル回っています。

    民族や国家間の対立の中で「敵の非道を忘れるな」と憎しみを後世に伝えようとする姿勢はとても人間的だけれど、それではいつまでも負の連鎖が断ち切れない。だからといって過去の一切を忘れることは不可能。『The Narrow Road to the Deep North』に「人類の歴史はすべて暴力の歴史だ」みたいな一文があったのも思い出したりして、つい悲観的になってしまいます。

    カズオ・イシグロさん、次は大笑いできるようなコメディーでも書いてくれないでしょうか(・・・無理ですよね)。

    いいね

    • Sparkyさん、ほんとそうですよね。最近特に「過去は忘れたほうがいいんじゃあないの?」と思うこと多いです。

      それと、国家の過去の対立を今に持ってくるの、ほんと嫌なんですよね。
      人類の歴史は、良いも悪いも全員のものって気がします。暴力や非道を含めて。
      だって、私たち国を選んで生まれたわけじゃないですから。

      いいね

  5. ピンバック: 2015 これを読まずして年は越せないで賞候補作 | 洋書ファンクラブ

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