ヒューゴー賞(Hugo Awards)は、世界中のSFファンが注目するSF、ファンタジー、ホラージャンルの重要な賞である。
受賞作は世界SF大会(ワールドコン, World Science Fiction Convention)に登録したファンの投票で決まり、大会の間に開催される授賞式で発表される。気取った文芸賞とは異なり、批評家ではなくファンが決める賞なので、必ずといって良いほど面白く、ベストセラーにもなる。そういった点で、とても信頼性がある賞だった。……少なくともこれまでは。
ところが、このヒューゴー賞が社会政治的なバトルグラウンドになってしまったのだ。
アメリカのSF作家のなかには、最近のヒューゴー賞は「マイノリティの人種、女性、同性愛者への公正さを重んじるリベラルな政治性を優先して選ばれている」、「文芸的な作品が重視され、娯楽的なSFが無視されている」といった不満を持つ者がいる。その代表的な作家たちが2年ちょっと前に作ったのが「Sad Puppies」というグループだ。代表者はLarry CorreiaというパルプSF作家で、同じような見解を持つ作家やファンに呼びかけて2013年のヒューゴー賞で自分や仲間の作品を最終候補に入れるキャンペーンを行った。
Sad Puppiesは2013年と2014年にはあまり成果を出さなかったのだが、2015年にBrad R. TorgersenがCorreiaの後を継ぎ、ビデオゲームデザイナーで編集者でもあるVox Day(Theodore Beale)がSad Puppiesよりさらに過激なグループ「Rabid Puppies」を作ったころから活動の結果が見えるようになった。
Sad PuppiesとRabid Puppiesが求めるのは、SFが「good old days(古き良き時代)」に戻ることである。彼らがいう古き良き時代とは、白人男性による白人男性のためのSFが尊敬される世界だ。
Puppies作家のひとりJohn C. Wrightは、「Saving Science Fiction from Strong Female Characters(強い女性キャラクターからSFを救うには)」なんて失礼なエッセイを書くほど堂々たる「SF界に女は邪魔」派である。Wrightの意見では、男性のスペースヒーローこそが率先して活躍してヒロインを救う役割であり、女性キャラは露出たっぷりのハーレム衣装に身を包むか鎖に繋がれて弱々しくヒーローから救われるのを待つお姫様の立場くらいしか許されないらしい。
The objection is that the space hero does the rescuing, his is the initiative and the action, and he gets to fly the spaceship through the palace wall, whereas the space princess is given no role but to languish in prison, perhaps wearing chains or perhaps wearing a silky harem outfit, and await rescue. …
ほかにも、Puppiesの作家は過激なほどに人種差別、男尊女卑、アンチ同性愛である。
たとえば、Wrightは”Men abhor homosexuals on a visceral level. (男は、心底ホモセクシャルを嫌悪するものだ)”と書き、Vox Dayは「Why Women’s Rights Are Wrong(なぜ女性への公平な権利は間違っているのか)」というすごいタイトルのエッセイでこんな「女性への思いやり」を見せている。
In fact, I very much like women and wish them well, which is precisely why I consider women’s rights to be a disease that should be eradicated.(だが、実際には僕は女性のことが大好きであり、幸せでいてもらいたい。だからこそ、僕は女性が求める公平な権利のことを撲滅すべき病だとみなしているのだ)。
Voxはほかにも黒人差別のブログ記事などを書いているが、それに同意する層もいるのだ。
アメリカには、現代社会に定着しつつある多様性やリベラルな姿勢に被害者意識を持つ白人男性がけっこういる。彼らは、女や肌の色が異なる人種や同性愛者が自分たちにとって安楽だった世界を壊していくことへの鬱憤をためている。それを利用しているのがSad & Rabid Puppiesなのだ。
ヒューゴー賞の選出方法は、こういったグループ攻撃には脆弱なシステムである。
ワールドコンに登録すれば誰でも投票できる民主的な方法は、これまで仲間内の信頼感で支えられてきた。
お金がけっこうかかるワールドコンに登録するファンは限られているから比較的少数が受賞作を決めることになる(2014年の投票数は3587)のだが、それぞれが独自の意見を持つから結果はけっこう信頼できた。でも、Sad PuppiesやRabid Puppiesのように強い動機を持つグループが意図的に参加すれば簡単に最終候補を操作できる。Puppiesたちの情熱的なキャンペーンの結果、2015年のヒューゴー賞候補作はPuppiesたちの選んだ作家と作品が大部分になってしまった。
Puppiesのおかげで複数の作品がノミネートされたのが、上記でご紹介したJohn C. Wrightである。Vox Dayも編集者部門でちゃっかり自分を最終候補にしている。
もちろんまともなSF作家やファンは憤った。
授賞式のプレゼンターを依頼されたベテラン女性SF作家Connie WillisはPuppiesへの抗議として役割を拒み、Puppiesの作家と名前を並べることを恥じた作家2人はノミネーションを辞退した。
Game of Thronesで有名なGeorge R.R. MartinはブログでPuppiesが吠えているのは事実ではない、と実例を挙げて説明している(プンプンマークをつけながら)。
Playboy.comまでもが、「Whoa, Hugo: Women and Minorities Aren’t New to Sci-Fi(ちょっとまてよ、ヒューゴー賞。女とマイノリティはSFの新参者じゃないぜ」と、SFの元祖的なクラシック『フランケンシュタイン』を書いたのが女性作家のMary Shelleyであり、その後もUrsula K. Le GuinというSFの大御所がいることを指摘している。先に登場したConnie Willis、Jo Walson、Anne McCaffrey、最近のAnn Leckieなども男性ファンが多い正統派だ。決して「女だから」と贔屓してもらってヒューゴー賞を取ったわけではない。
2015年のヒューゴー賞ではPuppiesがノベラやショートストーリーなどの候補作を埋めてしまったため、人々は「No Award(受賞該当作なし)」に投票することで抵抗した。その結果「No Award」だらけになってしまったのである。
Puppiesの攻撃で完全に崩壊しなかった長編部門は、中国人作家Cixin Liu(劉慈欣)の『The Three Body Problem』が受賞作に選ばれた。
Puppiesが破壊しようとした2015年ヒューゴー賞の最も重要な受賞作が中国人作家の翻訳作品というのは感慨深いものがある。有名なSF作家のKen Liuが翻訳しているのも魅力だ。
Puppiesたちは愚かなことに時間を費やすのはやめて、せっせと魅力的なSFを書いて欲しいものである。