著者:Anne-Marie Slaughter
ハードカバー: 352ページ
出版社: Random House
ISBN-10: 0812994566
発売日: 2015/9/29
適正年齢:PG 15(大人向けだが、高校生から読ませたい作品)
難易度:上級(だが、日本で英語を学んだ人には読みやすいタイプのノンフィクション)
ジャンル:ビジネス・実用書/エッセイ
キーワード:働く女性、男女同権、フェミニズム、仕事と家庭の両立、男女の役割、期待へのプレッシャー、リーンイン
賞:2015年 フィナンシャル・タイムズとマッキンゼー business books of the year最終候補
2016年は、アメリカの次期大統領を決める重要な選挙がある年だ。
元国務長官のヒラリー・クリントンは有力な候補のひとりだが、これが現実になるまでには二つの大きなフェミニズムのムーブメントがあった。
第1世代(1st. wave)のフェミニズムは、19世紀末から20世紀はじめにかけての「女性の参政権運動(Women’s suffrage)」だった。投獄を覚悟で戦った女性たちのおかげで、女性の私たちはこうして選挙権を得ることができたのだ。
第2世代(2nd. Wave)のフェミニズムは、生殖における女性の選ぶ権利、社会的な男女平等を憲法のレベルで求める運動で、黒人の公民権運動と反戦運動が高まった1960年代におこった。この運動後の知的階級のアメリカ人女性は、フランスの女性哲学者シモーヌ・ド・ボーヴォワールの「女は女に生まれるのではない。女になるのだ」という言葉のとおり「女も努力さえすれば、男と同じことができるはず」と信じて育った。
私の周囲には、第2世代のフェミニズムで育ったアメリカ人女性が多い。ヒラリー・クリントンなどの女性が要職につくようになったのは、この世代の女性が努力したからだ。しかし、私の女友達が自分の人生を通じて知った現実はもっと厳しかった。男女同権が進んでいると思われているアメリカでも女性が男性と同様に働くのは困難だ。同じ仕事をしていても、男性と女性では賃金に格差があり、組織で要職に就く女性はいまだに多くはない。
しかも、男性と同様かそれ以上に努力して要職に就いた女性(とくに母親)は、家庭で主婦や母としての役割をきちんと果たしていないことに後ろめたさを感じている。また、自分の能力を過小評価して遠慮してしまいがちだ。
そういった女性に対して、後に続く女性を助けるためにも「Lean In(遠慮して身を引いたり、傍観することの逆で、身を乗り出し、積極的に関わって行くこと)しろ」と呼びかけたのが、フェイスブックCOO(最高執行責任者)」のシェリル・サンドバーグの『Lean In』という本だった。
日本でも翻訳出版された良書だが、「ここに書かれている内容では、まだ足りない」と思った女性がいた。
それはヒラリー・クリントン国務長官のもとで国務省政策企画本部長を務めた国際政治学者のアン・マリー・スローター(Anne-Marie Slaughter)だ。ハーバードやプリンストン大学の教授を務めた後に女性初のプリンストン大学ウッドロー・ウィルソン公共政策大学院院長にも就任したという人物で、結婚し、息子がふたりいる。夫もプリンストン大学の教授を務めている国際政治学者で、「すべてを手に入れた女性」の代表的存在だった。
スローター自身も、かつては「努力さえすればなんでも実現できるはず」と信じていた。だから、才能があるのに要職をあきらめて地位が低い仕事を選んだり、職場を去ったりする同僚を見るたび、「できないのは、本当に実現させたいという情熱か努力が足りないからだ」と思った。
そんな彼女が変わったのは、ヒラリー・クリントンから国務省政策企画本部長の職を依頼されて、ワシントンDCに単身赴任してからだ。
プリンストンに残った夫は妻の仕事の最大の理解者であり、素晴らしい父親だった。家族から応援されて就いた仕事だったのだが、8年生(アメリカの中学3年生)になった長男が、学校から停学をくらったり、警察に保護されたりする問題行動を起こし始めたのだ。長男が母を必要としていると感じたスローターは、さらなる出世よりも家族を選んでワシントンDCを後にした。
そのときスローターが書いたThe Atlanticの記事『Why Women Still Can’t Have It All』は、多くの女性にショックを与えた。「女性だって頑張ればすべてを手に入れることができる」というお手本だったスローターが、「すべてを手に入れることはできない」と書いたのだから。(翌年のTEDトークも同じテーマで、これも話題になった)。
スローターは、自分の体験から「リーンインするか、辞めるか、という極端な選択肢のほかにも何かあるのではないか?」と考えた。
本書『Unfinished Business』は、話題になったThe Atlanticの記事をさらに掘り下げたもので、昨年のフィナンシャル・タイムズとマッキンゼーのベストビジネス書の最終候補にもなった。
職場での男女同権がまだ実現していないことや、同等の仕事をしている夫婦でも女性のほうが家事を多くしている事実について語った記事や本はこれまでにも多くある。
しかし、この本は、そこから一歩踏み出している。
私の女友達に代表される第2世代のフェミニストは、むかしのスローターのように「頑張れば女性も高い地位の職に就けるし、家庭だって持つことができる。できないとしたら、それは『どうしても達成したい』という熱意や努力が足りないからだ」と信じ、年下の女性たちに努力を要求してきた。けれども、彼女たちの娘の世代は、その期待を重圧だと感じ、古いタイプのフェミニズムに対して反感を抱くようになっているのだ。
シェリル・サンドバーグが提唱したのもそうだが、本書が提唱するのは、こうした第1、第2世代を経てたどりついた、理念と現実課題とのバランスを重視した「フェミニズム第3世代」とも言える考え方だ。
現実を見れば、妻のほうが高収入で高い地位についている夫や、専業主夫になった男性は、男性からも女性からも差別される。この差別は、ある意味教授や重役をめざす女性に対するものより厳しく、辛いものだ。だから、家で家事や育児に専念したくても、男性はなかなかそれを選ぶことができない。男性に対してもステレオタイプの重圧があると、本書は指摘している。
また職業差別も、バランスがある生き方を妨げているという。
私たちは、弁護士、教授、医師、投資銀行家、企業の重役といった職に就いた人を何の疑問も抱かずに「成功者」とみなし、尊敬する。そして、保育士、看護師、教師(給与が低いアメリカの場合は、日本よりも低い地位とみなす傾向がある)といった、他人の世話をする大切な職業の人を見下す傾向がある。お金を動かすだけの仕事が、子どもや病人の世話をする仕事よりも重要なわけはないのだが、収入の差が偏見を強めている。だから、つい高い地位に就くためにlean inしないことを「熱意や努力が足りない」とみなしてしまうことがある。
でも、スローター自身が体験したように、家族の世話をする(子育てを含む)のは簡単な仕事ではない。ふつうの仕事よりも難しいことが多々ある。そして、とても満足感もある仕事だ。
女性だけでなく、男性だって仕事と家庭の両方を楽しみたいのだ。
働く女性が抱える問題は、「女性の問題」とよく片付けられてしまうが、そうではない。男性にも影響がある。男女を対立させるのではなく、男女がそれぞれ押し付けられてきた重圧を軽減するような「男女平等」を実現させるためにはどうしたらいいのか?
スローターが本書で提言しているのは、男女両方のための新しいタイプのフェミニズムだ。これから結婚するカップルは、本書を読んでじっくり語り合ってみるといいだろう。