作者:Tara Westover
ペーパーバック: 400ページ
出版社: Random House
ISBN-10: 0399590501
発売日:February 20, 2018
適正年齢:PG15
難易度:中級+
ジャンル:ノンフィクション/回想録
テーマ:モルモン教原理主義、アメリカ、サバイバリスト、アンチ政府、反体制、反西洋医学、自然信仰、アロマテラピー、ホームスクーリング、児童虐待、家族の秘密、毒親
賞など:数多くの「2018年ベストブック」、オバマ元大統領が選んだ「夏の読書」リスト
アメリカでは日本にはないノンフィクションの人気ジャンルがある。それはmemoirと呼ばれる『回想録(自伝)』だ。日本では「自伝は有名人が書くもの」というイメージがあるが、アメリカでは無名の普通人による回想録がよく出版され、ベストセラーにもなる。
2018年に最も売れた回想録はミシェル・オバマ元大統領夫人の『Becoming』だったが、それが発売されるまでに最も注目されたベストセラーが『Educated』だった。32歳の無名の女性タラ・ウエストオーバーがモルモン教サバイバリストの両親に育てられた半生を綴るこの回想録は、発売直後からニューヨーク・タイムズ紙ベストセラーリストに入った。バラク・オバマ元大統領が夏の読書の推薦書のひとつに選んだこともあって幅広い読者に読まれ、読書愛好家向けのソーシャルメディア「Goodreads」で読者が投票する2018年「チョイスアワード」では、回想録のカテゴリで1位になった。
アイダホ州の山脈に囲まれた田舎で7人兄弟の末っ子として生まれたタラ・ウエストオーバー(Tara Westover)は、9歳になるまで日本の戸籍に匹敵する重要な書類である「出生証明書」を持たなかった。タラの父はモルモン教原理主義のサバイバリストであり、母は強い性格の夫に従う従順な妻だった。「サバイバリスト」とは、核戦争や経済の崩壊といった破滅的な災害で生き残るために準備とトレーニングを日常から行っている人たちである。モルモン教では古くから大災害に備えて1年分の食料を保存しておくことが指導されていたが、「サバイバリスト」はその教えを逸脱した狂信的なレベルである。反政府の彼らは、学校や病院を含む公的機関は政府が自分たちをスパイし、洗脳する可能性がある危険な組織だと信じている。
タラが長年出生証明書を持たなかったのは、母のお産を助けたのが正式の免許を持たない自称「助産師」だったこともある。アメリカの法では報告の義務があるのだが、サバイバリストにとってアメリカの法律は何の意味も持たないのだ。タラの母も無免許の助産婦から学んだ知識で他人の出産を助け、家族の病気や怪我のすべてを薬草で治療した。息子のひとりが交通事故で前頭にゴルフボールほど大きな穴があき、意識も失っているというのに、電話で娘から相談された父は「家に戻ってお母さんに治療させろ」と命じるのである。父の命令を無視して兄を病院に連れて行ったタラは、裏切り者として冷たく扱われた。
また、タラと6人の兄と姉は、洗脳を防ぐために学校に行かせてもらえなかったので、学びたい者は自分で学ぶしかなかった。通常なら自宅で子供を教育する「ホームスクーリング」は、ホームスクーリング用の教材を使って親が教える。だが、わが子を無償の労働者として捉えていたような父は、危険な仕事を子供に無理やりさせるくせに、教育には興味がなかった。タラは兄のひとりから読み書きを習い、後に教科書を入手して自学で高校卒業レベルの学力を身につける。
タラは「ここにいたらおまえは駄目になってしまう」という兄タイラーの進言でブリガムヤング大学への入学を目指すようになる。ブリガムヤング大学はモルモン教の大学であり、しかもホームスクーリングを受けた子供も受け入れるからタラにもチャンスがある。「数学」を「数の計算」程度にとらえている母から高等数学を学ぶのは不可能なので、タラは自分で教科書や参考書を買って入学選考に必要な標準テストのACTの勉強をした。ブリガムヤング大学合格には低いが、自学にしては目覚ましい成績を取った16歳の娘に対し、父は理解を示すどころか憤り、大人になったのに家賃を払えないなら家を出ていくよう命じた。
タラの人生が変わったきっかけは、難関のブリガムヤング大学に入学したことだった。だが、17歳にして初めて体験する「学校」に慣れるのは難しかった。小学校で教わるような常識も知らないのだから。ナチスドイツによるユダヤ人大虐殺の「ホロコースト」を聞いたこともなかったタラは同級生から奇異の目で見られ、誤解されたりする。
親から教え込まれた厳格な宗教観とサバイバリストの思想から抜け出すのも容易なことではなかった。自宅に戻るたびに学校での教育と親の思想の間で葛藤したタラだが、ブリガムヤング大学を卒業後に、ビルとミランダ・ゲイツ財団が創始した「ゲイツ・ケンブリッジ奨学金制度」でイギリスのケンブリッジ大学の大学院に進学した。そして、ハーバード大学でも学ぶ機会を得て、ついに思想史と政治思想で博士号を取得する。
学校に通うこともできなかった少女がここまでの教育を得たというのは驚愕する達成だが、タラと家族との関係は彼女が教育を得るにつれ困難になっていった。兄のショーン(仮名)の暴力がエスカレートしたのにもかかわらず、両親は彼をかばい、暴力を訴えるタラのほうを糾弾して精神的に追い詰めた。そして、ついにタラは親や兄弟の一部と縁を切ることになる。
この回想録が出版された後、タラの両親は弁護士を雇って「事実無根だ」と主張している。また、事故や大怪我がたえない家族と、それを母のアロマテラピーで治す部分に「この回想録は信用できない」と感じる読者がいるようだ。しかし、タラの昔のボーイフレンドが「この本に出てくるDrewは私だ。タラと僕は現在では付き合っていない」と前置きしたうえで、この本に登場する主要人物をよく知っているし、当時のタラが体験したことの信憑性をアマゾンのレビューで裏付けている。
タイトルから想像できるように、この本は偏った信念や宗教によるマインドコントロールから抜け出して、自分自身を信じるための教育の重要性を語っている。教育を否定された子供が閉ざされた環境で育つ恐ろしさも。だが、アメリカの多くの読者は「家族」の葛藤の部分にも共感したのではないだろうか。
この部分では、同じく今年刊行されたスティーブ・ジョブズの娘の回想録『Small Fry』を連想する。どちらも、いわゆる「毒親」に翻弄されながらも、愛される努力をし続けた娘の心理が描かれている。私も父との関係で共通する体験をしているので、二人の葛藤が実に切なかった。
タラもジョブズの娘のリサも、結果的には親に心理的に別れを告げることで人生に折り合いをつけるのだが、日本でもそこに励まされる読者がいることだろう。