作者:Olga Tokarczuk
原作の言語:ポーランド語
ジャンル:文芸小説
難易度(英語):8/10
賞:ノーベル文学賞受賞、ブッカー国際賞受賞(2018年)など
Flights
Drive Your Plow Over the Bones of the Dead
2018年にブッカー賞の国際賞とノーベル文学賞という大きな賞を連続で受賞したオルガ・トカルチュクは、日本でもファンが多く、読者評価も高いようだ。
しかし、アメリカではブッカー賞を受賞したFlights(邦訳版のタイトルは『逃亡派』)の読者評価は「高い」とは言えない。褒めている人はもちろんいるが、「がっかりした」という意見がかなりある。私もどちらかというと後者のほうだ。
ブッカー賞国際賞を受賞したFlightsは、逸話や自伝的なエッセイの数々を集めてひとつの小説にしたような作品だ。ナレーターの内声は作者のトカルチュクを連想させているが、彼女の旅の話かと思いきや、バケーション先で家族が突然行方不明になる男の話や、身体のパーツに異様な執着心を持つ医師など、一見して何の繋がりもない話が混じり合ってくる。しばらくすると、全般的に通俗的な「旅」のコンセプトと「旅」のイメージの背景にある流動的な状況をテーマにしていることが見えてくる。作者の好奇心の幅広さや、それを満足させようとする執着心、文章のあちこちから感じる古典から近代までの数多くの文芸作品の広く深い知識は魅力的だ。
同年代のトカルチュクのナレーターに共感することもしばしばあった。私も、21歳で初めてイギリスに行った1981年からずっと、旅に出るたびに日常生活の自分を置き去りにする不思議な心境を分析したり、空港ですれ違う人々について想像したりしてきた。私が飛行機で外国旅行に行き始めた頃は、今とはまったく異なる時代だった。一番安いチケットを購入したら、当時住んでいた京都から目的地のロンドンまで数え切れないほどストップしなければならず、2日くらいかかったものなのだ。私と同年代のトカルチュクが生まれ育ったポーランドは、1989年の自由選挙でレフ・ヴァウェンサ(私が若い頃はワレサと間違って発音されていた)が大統領になるまでは共産主義国だった。Flightsはポーランドで2007年に発売された作品だ。トカルチュクが作品を書いている頃のポーランドの閉塞感はまだ強かっただろうし、海外への旅行というのは、1981年の私が感じたよりもさらに特別な意味があっただろう。だから、彼女が賞を得た2018年に私たち読者が考える旅と、この小説での旅はかなり異なるものだと考えるべきだと思う。
2年ほど前にロンドンの空港でフライトを待っていたときのことだ。古代ローマの調理人が主人公の歴史小説を読んでいた私は、その最中に食材としてのキノコの地理的な分布を考えているうちに地域による毒性の差について調べはじめ、ふと目を上げたときに視界に入ったテレビニュースでイギリスから見たアメリカの政治と国際関係の危うさを考え始めた。そして突然「いったい私は何をしていたんだっけ?」と周囲を見渡した。そこで、約40年前に初めてこの空港にたどり着いて感動していた汗臭い私のことを思い出し、ファーストクラス・ラウンジでシャンパンを飲みながら本を読んでいる自分の不思議さに吹き出しそうになった。夫のビジネスを援助しているからここにいるだけで、自分だけなら今でも「節約第一」の私だ。周囲にいる人たちは、どうなのだろう? 外から見ただけでは彼らのことはわからない。謎が解けないミステリを想像するだけで面白い。私の頭の中は、いつもそんな感じであちこちに飛んでいく。
トカルチュクの小説は、しょっちゅう「さっきまで私は何やってたんだっけ?」と立ち止まり、「この人たちの秘密は何なのだろう?」と心が彷徨う私に似ている。そういう意味では相性が良さそうなものなのだが、私の知識不足ゆえか、私はこの小説に対してイライラすることのほうが多かった。それは、読者としての私が作家のトカルチュクと相性が悪いからかもしれない。日常の私の発想はあちこちに飛ぶけれど、私が本を読むときには、ひとつの流れに乗りたいタイプなのだ。
そういう私にとって、トカルチュクのDrive Your Plow Over the Bones of the Deadは、率直に面白かった。
ポーランドの田舎で一人暮らしをする高齢女性Janinaは、ワルシャワに住む裕福な人の別荘を管理しながら、同じ趣味を持つ孤独な青年とイギリスの詩人ウィリアム・ブレイクの詩を翻訳している。Janinaは、人間嫌いで動物好きの変わり者として知られているのだが、彼女は誰が何を言おうが気にしていない。けれども、彼女の愛犬たちが姿を消し、周囲で人々が死にはじめてからJaninaはこの事件に取り憑かれる……というミステリと寓話が混じったような小説だ。
主人公の年配の女性の懐疑心の強さや頑固さがうまく描かれているので、好感が抱けない人物のはずなのに、魅力的になっている。村の雰囲気やミステリも興味深く、政治的な要素もわかりやすい。小説としてまとまりがあり、何よりも読んでいて面白い。こちらのほうがFlightsより読者評価の平均値も高いので、私の頭が英語圏読者に近くなっているのかもしれない。
そういったことも含めて、興味深い読み比べだった。