アメリカにオピオイド依存症の深刻な社会問題をもたらしたサックラー・ファミリーの歴史を描くノンフィクション EMPIRE OF PAIN

作者:Patrick Radden Keefe
Publisher ‏ : ‎ Doubleday; First Edition
刊行日:April 13, 2021
Language ‏ : ‎ English
Hardcover ‏ : ‎ 560 pages
ISBN-10 ‏ : ‎ 0385545681
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-0385545686
適正年齢:一般
読みやすさ:8(日本人にもわかりやすいストレートな文章だが、専門用語があり、ページ数が多い)
ジャンル:ノンフィクション
キーワード、テーマ:OxyContin, Opioid, Purdue Pharma, Sackler Family, 鎮痛剤オピオイド、オキシコドン、ヘロイン、依存症、パーデュー製薬、サックラー一家

Hillbilly Elegyなどの本にも出てくるが、アメリカでのオピオイド依存症は非常に深刻な社会問題になっている。アメリカ政府の機関NIDAによると、2019年だけで約5万人もの人がオピオイドに関連したオーバードースで死亡している。オピオイドの乱用によるヘルスケアコスト、生産ロス、依存症治療、犯罪などの経済的ダメージも年間78.5ビリオンダラー(約8兆円)になるという。

その深刻な問題を作り出した犯人として名前が知られるようになったのが、Purdue PharmaとそのオーナーであるSacklerファミリーである。Empire of Painは、このSacklerファミリーに焦点を絞ってアメリカのオピオイド問題の歴史を説明するノンフィクションである。

オピオイドで有名なのは天然のモルヒネだ。これに依存症があることは長く知られ、医療の場で慎重に取り扱われてきた。半合成のオキシコドンやヘロインも警戒されてきたが、それを変えたのがPurdue PharmaのOxyContin(オキシコドン)である。特殊な製造方法によりオピオイドのリリースを緩やかにしているので依存性がないというのが売りであった。Purdueは「医師という専門家の推薦であれば信頼できる」という心理を利用し、ときには架空の医師を使って創作に近い医療情報を現場の医師に提供した。それは、OxyContinは「がんなどの末期だけでなく、多くの痛みに使える」「依存性がほとんどないので、長期にわたって使える」という根拠がない医療情報だった。Purdueの営業は車のセールスマンのように売れば売るほど報奨を与えられる。ゆえに、アグレッシブな宣伝や売り込みを行っていった。

現場では早期から依存症やオーバードースの深刻な問題が報告されていた。それを誰よりも早く知っていたPurcueは、長期にわたって「薬が悪いのではない。乱用する者が悪い」と言い続けてきたのだった。利益が高いオピオイド販売に依存する会社の姿勢を変え、新しい薬を開発する方向を求める意見は内部にもあったが、そういう意見をする者はオーナーであるSackler家への忠誠心に欠けるとして排除された。

興味深いのは、アメリカ、イギリス、フランスなどで芸術や文化へに多額の寄付をするフィランソロピストとして知られていた大富豪のSacklerファミリーなのに、そのお金がどこから来たのか知る人がほとんどいなかったということだ。ファミリービジネスとしてスタートしたのだから、通常なら一族の名前を使うはずだ。だが、Sacklerはわざとそうしなかった。本書は、その理由を含めてSacklerファミリーがどのようにしてこのビジネスを始め、どう育てたのか、その歴史についても語っている。

東欧からのユダヤ系移民の両親のもとに生まれたArthur, Mortimer, Raymondの三兄弟は、長男のArhurの選んだ道に従って全員が精神科医になった。特にArthurには起業精神もあり、医師として働きながらも、広告代理店のWilliam Douglas McAdams Agencyで医療分野の担当者として画期的な戦略を立てた。当時Rocheが製造していたValium(ジアゼパムの製品名)を全米に流行らせた貢献者は、実はArthur Sacklerだった。製薬会社が医師の研究に出費したり、食事を提供したり、ゴルフトーナメントを行ったり、病院担当者がパンフを持って訪問したりする現在よく知られているビジネスモデルを生み出したのもArthurだったというのには驚いた。

Purdueは兄弟が購入したときには小さな製薬会社だった。Arthurはある事情でオーナーから外れることになり、それゆえArthurの子孫たちは、「我々はOxyContin(とオピオイド禍)には無関係のSacklerだ」と主張している。しかし、ArthurはValium依存症を多く生み出したきっかけを作った人物であり、PurdueがOxyContinを売り込むマニュアルの原点を作った人物でもある。だから無実潔白のように振る舞うべきではないというのが作者の立場のようだ。

アメリカのオピオイド問題を作り出した首謀者としてPurdueが話題になり始めた時のCEOは三兄弟の末っ子Raymondの息子Richardである。だが、イギリスに移住したMortimerとその子供や孫を含めて彼らの家族全体がOxyContinの販売で利益を得たビリオネアである。彼らは「オキシコドン市場でPurdueの製品が占める割合は少ない。ジェネリックを売っている他の製薬会社のほうが多い」といった言い訳をしているが、数の上では少なそうでも1錠に含まれるオキシコドンの量ではダントツである。また、Sacklerファミリーは、OxyContinのジェネリックを作る製薬会社も所有しており、この市場のパイオニアであり主要プレーヤーであることは間違いない。

依存症が問題になってきた頃にPurdueはOxyContinの製造法を変え、粉砕してコカインのように吸入できないようにした。だがこれは依存症対策というよりも、他社によるジェネリックの発売を遅らせる手段であったようだ。製造法の変化はある意味効果的であり、粉砕して吸えなくなった依存症の者はヘロインや合成オピオイドのフェンタニルを使うようになった。ヘロインやフェンタニルのほうが安いということもあり、これらの依存症が急増し、オーバードースで死ぬ者も増えた。

いっぽうで、イギリスに渡ってイギリス国籍になったMortimerは、テート・ギャラリー、ロイヤル・カレッジ・オブ・アート、ルーブルなどに多額の寄付をし、1995年にエリザベス女王から「honorary Knight Commander of the Order of the British Empire (KBE) 」という上位勲章を得てサーの称号を得た。だが、彼の輝かしい慈善活動は、多くの人々が人生や命を犠牲にしたオピオイド依存症でまかなわれていたのである。

それ以外の家族もアートでの寄付で知られていたが、PurdueではなくSacklerの家族らが裁判で訴えられるようになり、アーティストで社会活動家のNan Goldinの活動の効果もあって美術館や大学はSacklerファミリーとの関係を解消し、建物やコレクションからSacklerの名前を取り去るようになった。

ひとつの家族の欲はこれだけの影響を生み出したのだ。まるで壮大な劇を見ているような読み応えがあるノンフィクションだった。

1 thought on “アメリカにオピオイド依存症の深刻な社会問題をもたらしたサックラー・ファミリーの歴史を描くノンフィクション EMPIRE OF PAIN

  1. 昨年の「これ読ま」大賞受賞、納得の本でした。幅広く丁寧な取材と丹念な事実確認の姿勢に脱帽です。サックラー一族のあこぎな商売や節税の手口の数々には開いた口が塞がりませんでした。どうにか正義の鉄槌を下せないものかと、歯がゆい気持ちでいっぱいです。

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