共著者: Marie Benedict、 Victoria Christopher Murray
Publisher : Berkley; First Edition
刊行日:June 29, 2021
Hardcover : 352 pages
ISBN-10 : 0593101537
ISBN-13 : 978-0593101537
対象年齢:一般(セックスシーン描写レベル:1)
読みやすさ:7
ジャンル:歴史小説/女性小説
キーワード、テーマ:J.P.モルガン、モルガン・ライブラリー、J.P.モルガンの個人コレクション、私的な司書、人種差別、白人として生きた黒人、Bella da Costa Greene, Bernard Berenson
J.P.モルガンはアメリカの5大財閥のひとつであるモルガン財閥の創始者として知られている。また、ニューヨークのマンハッタンにある有名なモルガン・ライブラリーは、もとはJ.P.モルガンの個人コレクションを集めた私的なライブラリーであった。J.P.モルガンの個人的なコレクションを彼のビジョンに沿って拡張して管理する司書として雇われたのがBella da Costa Greeneだった。
Bella da Costa Greeneの母はワシントンDCで有名なアフリカ系アメリカ人一家の出身であり、高等教育を受けて音楽教師をしていた。そして、父のRichard Theodore Greenerは、黒人として初めてのハーバード大学卒業者(1870年卒)であり、弁護士、大学教授、社会活動家として名前が知られていた。けれども、両親が別居してからは母と子どもたちは名字をGreeneと変え、肌の色が白かった彼らはニューヨークで白人として暮らすようになっていた。19世紀後半から20世紀初頭のアメリカでは、北部のニューヨークであっても黒人のアイデンティティでは安全な場所で住居を借りることも、給与が良い職も得ることもできなかったからだ。
大学には行っていないが父から直接教育を受けたBellaには学歴がある研究者と同等かそれ以上の知識と知識欲があり、それを活かしてプリンストン大学で司書として働いていた。その職で得たコネクションで、BellaはJ.P. Morganの個人的な司書として雇用された。
アメリカで女性が投票の権利を得たのは1920年だ。BellaがJ.P. MorganのPersonal Librarianとして雇用された1905年には、人種差別だけでなく、女性差別も今より激しかった。そんな時代に、Bellaはアメリカで最も気難しい大富豪のひとりとして有名だったJ.P. Morganの個人的な司書として信頼されるようになっただけでなく、全世界の古書や美術品の収集家、美術評論家、美術館から一目を置かれるパワフルな存在になったのである。そして、J.P. Morganの死後には、個人コレクションだったライブラリーを一般人もアクセスできる公的な図書館にするよう後継者の息子Jackを説得した。
Marie Benedictは、これまでにも多く実在の人物を小説化している。彼女がBellaについて書きたいと思ったのは、ずいぶん前のことだという。けれども、白人である自分がBellaの心情を語るのは適切ではないと感じて黒人女性作家のVictoria Christopher Murrayに共著を依頼した。
これらの共著者は、類まれなるBella da Costa Greeneをどう描いたのだろうか?
この小説では、黒人のアイデンティティを隠して白人として生きることを強いられたBellaの葛藤や、生まれてきた子どもの肌が黒くてアイデンティティが暴露されてしまうことを恐れて結婚できなかったことなどが繰り返し説明されている。アメリカの法律では、一滴でも黒人の血が混じっていたら黒人とみなされ、白人に開いている就職の道をすべて閉ざされてしまう。家族の生活を支える大黒柱だったBellaにとって、白人のアイデンティティを守ることは、自分だけでなく家族のためでもあったことも描かれている。
それらの葛藤がなかったとは言えない。だが、同じく白人として生きているBellaのきょうだいは結婚して子どもも生んでいるのだから、Bellaだけが生まれてくる子どもの肌の色を心配して結婚できなかったというのは納得できない。Bellaの本当のアイデンティティが暴露されたら家族のアイデンティティもバレてしまうというのなら、その逆もあるはずだ。小説ではそのあたりの説明がない。
また、人種アイデンティティを隠し、女性として男性以上に成功を収めたBellaは、平均的な女性のような考え方はしなかったと思うのだ。恋愛観にしてもそうだ。普通の人がくよくよ悩むようなことに時間を費やしていたら、あれほどの成功は不可能だったと思う。
私はこの小説を胸踊らせながら手にとったのだが、正直に言うと、期待はずれだった。
共著者たちが描いたBellaには、あの時代に差別を乗り越えてあれだけのパワーを掴んだ女性としてのカリスマ性や説得力が感じられない。ルネッサンス時代の美術史の専門家として著名なBernard Berenson(既婚者)との長年に渡る恋愛は記録にも残っているが、Bellaがこの小説で描かれているようなナイーブな女性だったとは私には思えない。この恋愛に関するBellaの心情や言動には同じ女性としてがっかりしたし、本当のBellaに対して失礼だと感じた。
「世界最高級のライブラリーを作る」という自分のレガシーを達成すること以外は、Bellaにとってさほど重要ではなかったのだと私は想像する。結婚しなかった理由も子どもの肌の色を心配したのではなく、夫や子どもの世話をしなければならない結婚そのものを避けたかったのではないか。いろいろと婚外恋愛をしているBerensonとのゆるい恋愛関係を長く続けたのも、結婚や拘束を求められない知的な関係だから気楽だったのではないか。そもそも、「仕事が最も大切であり、恋愛はその気晴らしに楽しむ程度にしか重要ではない」という男性は沢山いるのだから、そういう女性がいても不思議はない。J. P. Morganの死後にジャーナリストが「愛人だったのか?」と尋ねたときに「We tried!(試みたけどね!)」とBellaが応えたのも、彼女の豪快であっさりした性格を示すエピソードではないかと思っている。
私が読みたかったのは、そういう豪快な人物だ。
共著者らは現在の女性読者が同情し、好感を懐き、感情移入できる女性主人公としてBellaを設定したのかもしれない。でも、それは超人的な達成をしたBellaという人物に対する侮辱ではないだろうか?
Bella da Costa Greeneを世に知らしめることには貢献してくれたが、いろいろな意味で私にとっては残念な作品だった。