診断名がなく「可視化されない病」への答えを求めるジャーナリストのクエスト The Invisible Kingdom

作者:Meghan O’Rourke
Publisher ‏ : ‎ Riverhead Books
刊行日:March 1, 2022
Hardcover ‏ : ‎ 336 pages
ISBN-10 ‏ : ‎ 1594633797
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-1594633799
適正年齢:一般(PG12)
読みやすさ:7(専門用語は多いが、文章はストレートなので日本人には理解しやすいタイプ)
ジャンル:医療ルポ、回想録
テーマ、キーワード:診断名がつかない慢性疾患、自己免疫性疾患、ライム病、long Covid(新型コロナ後遺症)、ウイルス感染、患者の心理

ジャーナリストで作家、詩人のO’Rourkeは、Slate、The Paris Reviewといった有名な雑誌の編集者を経験し、現在はThe Yale Review(アメリカで最古の文芸誌)の編集者を務めている。彼女は長年にわたって時には起き上がることも、考えることもできないほどの辛い慢性疾患に悩まされてきた。それなのに、病院の検査では異常がみつからず、医師からは彼女の心理的な問題として扱われてきた。

作者は自分の病の始まりをこう説明する。「私はヘミングウェイが破産について書いたように病気になった。『徐々に、そして突然』(I got sick the way Hemingway says you go broke: “gradually and then suddenly.”)」彼女が体調不良に気づいたのは、大学を卒業してすぐのことだった。毎日のように出る蕁麻疹、目眩、慢性的な疼痛、ベッドがびっしょりになるほどの寝汗…。それから10年ほど経って母親が亡くなった翌日にウイルス感染し、こらえきれないほどの倦怠感と関節の痛み、頭に靄がかかった状態が何ヶ月も続いた。

彼女の症状を読んでいて、「これは、私のことだ!」と思った。決定的に悪化するまでに、多くの小さな体調の問題があり、何かをきっかけに日常生活を普通に送ることができないほど悪化したというパターンだ。私の場合は、幼い時から慢性副鼻腔炎、慢性中耳炎で通院を繰り返し、過敏性腸症候群で学校を1ヶ月休んだこともある。誰かが隣で咳をしたら必ず風邪かインフルエンザを悪化させて肺炎か気管支炎になる、というパターンは20代後半まで続いた。起床したと思ったのに寝ているので不思議に思ったら、起き上がるたびに失神していたのだとわかったこともある。原因不明の蕁麻疹が出るのも日常茶飯事だった。幼い頃には「虚弱体質」で片付けられ、高校の頃からは「心が弱い人」として扱われるようになった。だから、辛くても、痛くても、あまり口にしないようになった。我慢することに慣れてしまったために、普通なら救急部に行くべき怪我をしても、自分で歩いて家に戻ってきたということが何度かある。少々の痛みや発熱では痛み止めや解熱剤は飲まない。その程度のことで休んでいたら仕事も育児もできないから我慢してやる。すごく元気な時もあるのだが、突然症状が舞い戻ってくるのがこの病の特徴だ。だから周囲からは「心の病気」あるいは「hypochondriac(心気症)」扱いされがちで、それが一番辛いかもしれない。

私も作者のように父が亡くなって葬式を終えたその日からインフルエンザで寝込み、それをきっかけに甲状腺機能低下症の「橋本病」を発症して診断を受けた。これを機に、これまで体験してきた症状が劇的に悪化した。まさに、ヘミングウェイの『日はまた昇る』に出てきたように『徐々に、そして突然』という感じだ。けれども、私の症状の数々はこの病気だけでは説明できないし、合成甲状腺ホルモン剤の服用では健康を取り戻すことができなかったというのも、作者と同じだ。専門医に「治らない症状」や「新たに出てきた症状」について相談したこともあるが、「橋本病の人にはそういうことがよくあるんですよ」で片付けられてしまった。

血液検査のデータなどではっきりした異常が見つからないとき、医師の対応は「異常はありません」=「身体の病気ではなく、あなたの心の病気では?」という流れになる。けれども、床に転がるほどの痛みに襲われたり、突然失神したり、起き上がれないほどの倦怠感を体験している本人は、それが「心の問題」ではないことを知っている。だから、なんとか解決策を見つけたいと思う。

実際に私も自分の症状の原因を知りたくて調べたが、O’Rourkeの場合は調査のスケールが私とは違う。数々の主流(西洋)医学の専門家を受診しただけでなく、ありとあらゆる補完代替医療を試し、多様な専門家を取材している。多くの挫折と失望がある彼女の探索は、まさに真相と解決を求める「クエスト」だ。

O’Rourkeはかなり怪しい代替療法も数々試している。例えば、患者から採血したものに紫外線を照射した後で本人に戻すというUV therapy(血液バイオフォトセラピー、血液紫外線照射療法)だ。その部分を読んでいて「やめなさい!」と止めたくなった。

彼女の場合には、感染初期にみつからずに放置されていたライム病がみつかって抗生物質治療を受けたことで日常生活ができるほどに回復した(症状がなくなったわけではない)。結果的には(あれほど嫌がっていた抗生物質治療という)主流医学に救われたのだが、怪しい代替療法を受けたことも隠さずにしっかり書いている。これは、この本の重要な部分だと思う。名門のイエール大学を卒業し、著名な文学雑誌の編集者を務めてきた才媛であっても、診断名がつけられていない慢性疾患に苦しみ続けると、怪しい代替療法にしがみつきたくなるものなのだ。患者たちをそこまで追い詰めているのが、主要医学の「病」と「患者」の考え方である。現在の医療で原因がわからない症状、診断名がつかない病気は、患者の心の問題ではなくてただ単に「現時点ではまだわかっていない病」でしかない。それを現場の医師が認めることで、病が治らなくても患者は少し救われる。そこが、たぶんこの本が一番伝えたいことだ。

アメリカの医療システムでは、医師が専門化されすぎていて、自分の専門分野内での解決策しか考えないのも問題だ。

身体の不調は身体の一箇所の問題であることは少ない。肩こりで頭痛が起きるように身体の全ての部分が繋がって影響しあっていろいろな症状が起こる。現在診断名がない慢性疾患には自己免疫反応が絡んでいるという考え方がある。私の場合も、以前から子ども時代からの数々の感染と自己免疫に関わる症状ではないかと思っていたので、本書での専門家の意見には納得できる部分が多かった。

専門分野だけでなく、その人の心身まるごとの健康を考える医師(あるいは看護師)がいれば、そういったところが見えてきそうな気がする。また、主要医療を受けながら、その人の健康に役立つ補完代替医療を安全に利用することもできるだろう。実際に役立つ補完代替医療も存在するのに、主要医療の医師が頭ごなしに否定すると、かえって人々は健康を悪化させる怪しい代替医療に心をなびかせるものである。

ソーシャルメディアでは「自然信仰派」と「科学絶対主義者」が「白か黒」の実りがない諍いをしているのを見かける。でも、自然の花にも猛毒のものはあるので「自然は優しい」の主張は愚かだし、私の体験では薬で改善しなかった喘息が鍼治療で奇跡のようにおさまったことがある。どちらかが絶対に正しいということはない。何よりも大切なのは、「この辛さをわかってほしい」「なんとか治したい」という患者の気持ちをまず受け入れることだろう。医師が「あなたが身体の不調を感じているのは事実である。だが、私にはそれが何だかわからない」と正直に認めるだけで、患者はかなり救われる。そして、「病院に行くのをやめて、危ない代替医療を試す」という行為も減ると思うのだ。

患者の「心の問題」あるいはもっと悪いことに「性格の問題」にされてきた可視化されていない慢性疾患が「本当の病」かもしれないと見直されるようになった大きなきっかけは、新型コロナの回復後にも症状が長く続くlong Covid(新型コロナ後遺症)だ。感染から2年経った今でもまだ新型コロナの後遺症に悩まされている上院議員のティム・ケインは、よくわかっていないこの後遺症の研究を勧める法案を作った。long Covidとその他の可視化されていない慢性疾患には関連があるかもしれない。この研究が進むことで、他の疾患にも光が当たることが期待される。

本書を読んでいて一番辛かったのは、病によって作者と伴侶との関係が悪化する部分だ。(彼女ほど重症ではないが)実際に症状を持つ者として作者が伴侶に求めるものは大き過ぎると感じた。苦しみを理解して欲しい患者の気持ちは私にもあるが、周囲の人には、愛する者の苦しみを取り去ってやれない辛さがある。とはいえ、辛さを語らないと周囲の人に理解してもらえない。でも、語ると「いつも大げさ」と言われてしまう。どんな病であっても、患者が悩むのがこのあたりのさじ加減ではないだろうか。

私はキンドルで読んでいたのだが、夫にも読んでほしかったのでハードカバーも購入した。そして「ここに出てくるのが私の体験していることなので、読んでほしい。私があまり口にしないよう努力しているのは、人間関係を壊さないためでもあるから」と伝えた。

この本は、患者に対して「こうすれば良くなる」というスッキリとした解決策は与えないが、こういう使い方ではかなり役立つかもしれない。

Leave a Reply