作者:Dennis Lehane
Publisher : Harper
刊行日:April 25, 2023
Hardcover : 320 pages
ISBN-10 : 0062129481
ISBN-13 : 978-0062129482
対象年齢:一般(PG15)
読みやすさレベル:7
ジャンル:歴史小説、サスペンス
キーワード:公民権運動、差別撤廃のためのバス通学(Desegregation busing), サウスボストン(Southie)、アイルランド系アメリカ人、アフリカ系アメリカ人、Public Housing Project
アメリカの公民権運動は1954年から1968年の間に勢いを持ち、その結果として制度が変わりつつあった。マサチューセッツ州ボストン市では1970年代になっても市の公立学校は人種隔離(segregation)されたままだった。1974年に判事のW. Arthur Garrity Jrがその人種隔離政策が違法だとし、終わらせるように命じた。その結果、ほぼ100%が白人のサウスボストンの高校とほぼ100%が黒人であるロックスベリーの高校が一部の生徒を交換することになった。それらの生徒は自分たちが住む地域とは異なる地域にある高校にバスで通学することになり、この政策は「Desegregation Busing(差別撤廃のためのバス通学)」と呼ばれた。
この政策に強く反対したのは、サウスボストンの住民だった。サウスボストンとロックスベリーはボストンの中で最も貧困者が多い地域という点では共通していた。しかし、サウスボストンの住民にとって「自分は白人である」というプライドが傷つけられるものであり、「アイルランド系のカトリック教徒」のコミュニティが脅かされるという恐れもあった。そのために、この政策をもたらした公民権運動や黒人に対する憎しみが募っていた。
Desegregation Busing政策に対する反対運動がサウスボストンで高まるなか、地下鉄の駅で黒人の青年が殺される事件が起きた。その前にサウスボストンの男女4人組がこの青年を追いかけていたという目撃情報があった。
サウスボストンのPublic Housing Project(邦訳は公営団地だが、英語圏での”project”は貧困地域のさらに貧困層を対象とした団地のこと)で生まれ育ったMary Pat Fennessayにとって貧困と悲劇は日常生活だ。若い時に最初の夫を亡くし、二度目の結婚に失敗し、ベトナム戦争から無事に戻った息子は薬物依存症のあげくに過剰摂取で死亡した。高校生の娘Julesだけが生きがいだったが、どうやら彼女は地下鉄での事件に関わっていたようだ。それだけでなく、その夜からJulesは行方不明になっていた。誰一人としてJulesの安否を心配しようとしないなかで、Maryは単独で娘の行方を探す。
作者のDennis Lehaneは”Southie”(歴史的にアイルランド系移民が多く住む「サウスボストン」)を描かせたら右に出る者はいないほどの代表的作家である。ボストンにやや詳しい読者であれば、この小説に出てくるギャングのボスMarty ButlerのモデルがWhitey Bulgerだとピンとくる。Desegregation Busingが実施された当時のサウスボストン高校は出席率と卒業率を含めて、ボストンどころか全米で最低レベルの高校だった。それなのに「黒人が入り込んできて、このコミュニティを危険にする」という恐れを吹聴して反対運動を盛り上げ、若者をリクルートしてマフィアの帝国を築き上げたのがWhityだった。
この徹底的に救いがないサスペンスで最も印象に残る登場人物はMaryだ。若い時には美しかったのに、苦難ばかりの人生で実年齢より老けてしまった42歳のMaryは、人種差別者であり、口が悪く、暴力的である。しかし、彼女の偏見は環境から生まれたものであり、娘に起こったことを追求するなかで、Maryは自分のコミュニティの偽善に気づいていく。偽善に気づいたらこれまでの価値観を惜しみなく切り捨て、絶対に勝ち目がない相手に立ち向かっていくMaryはこれまで読んだハードボイルド小説の男性主人公よりもさらにハードボイルドだ。読みながらこういうキャラクターを産み出したDennis Lehaneに脱帽した。
タイトルのsmall merciesは「Thank God for small mercies」といった形でよく使われる言い回しで、不運な出来事や状況の中での小さな恵み(良いこと)に感謝するという意味である。日本語では「不幸中の幸い」と訳されることが多いが、少なくともこの小説についてはそれとはちょっと異なるニュアンスである。
本書はオバマ元大統領の2023年夏の推薦書(reading list)のひとつにもなっていて、私も今年のこれ読ま候補に推薦する予定。