アメリカの若者のファン心理とメディアでのLGBTQロマンス

私が小学生から本を選んであげていた娘やその友人たちが、今年の春大学を卒業する。

私の娘がハリー・ポッターの第一巻に出会ったのは幼稚園のときで、高校生の14歳のときに最終巻が出た。その間、新しい巻が出るたびに、娘とその友人たちは内容についてエンドレスに語り合っていた。ハリー・ポッターは巻が進むごとにダークになっていったし、大人っぽい内容も入るようになっていた。でも、ハリーと一緒に成長した彼らにとっては、心身の成長とちょうど合致していたのである。


今の子供たちもハリー・ポッターは読めるし、私のように新しい本が出るたびにずっと読んできた大人もいるが、フィクションの世界のハリーと一緒に成長した彼らとは体験が著しく異なる。ハリーと一緒に成長した世代にとって、あの世界と登場人物たちはフィクション以上の存在なのだ。

アメリカのこの世代の子供たちにとってハリー・ポッターのように「フィクションを超えた存在」なのが、Avatar: The Last AirbenderというTVアニメシリーズ(子供向けのNickelodeonというTV局で2005年〜2008年放映)である。

アメリカのテレビや映画(児童小説やYA)は白人の登場人物ばかりで、アジア人は特に少ない。たまに出てきても主役級ではない。結局、作る側に「アジア人が主人公だったら売れない」という先入観があるからだ。しかし、このAvatarは、アニメとはいえ登場人物はアジア人やイヌイットなのである。それが、アメリカのマジョリティである白人の子供たちの間でも大人気になったのだ。

このAvatarの世界にぞっこん惚れ込んで育った子供たちは、登場人物を「アジア人」だといちいち認識していない。ずっと自分を投影させてきたから、人種の差など特別に考えたりしないのだ。

しかし、実写版で映画化されたとき、主役級全員に白人が起用されたのには、ファンは怒った。自分たちが大切にしてきたキャラクターをめちゃくちゃにされたことが許せなかったのだ。現在に至っても、TVシリーズのファンたちは「史上最悪の映画」と酷評している。

そして、この世代対象に2012年から新しいシリーズLegend of Korraが始まった。この主要人物には、明らかに日本の名前であるAsami Satoが含まれている。

さて、このシリーズのファンを喜ばせ、しかもテレビ局をナーバスにさせたのがLegend of Korraのフィナーレである。

主人公のKorra(女性)とAsami(女性)のロマンチックな愛を匂わせるエンディングだったのだ。

 

「LGBTQ(lesbian,gay, bisexual, transgendered, questioning)の政治的な意図を押し付けるな!」という反論もあったが、シリーズのファンたちはこのエンディングを圧倒的に支持した。

これまでアメリカのメディアが決めつけてきた、「登場人物がアジア人、アクションアニメの主人公が女性、では売れない」という偏見を打ち破ってきたシリーズだけに、「同性間のラブストーリー」であってもストレートの視聴者に受け入れられて当然だということなのだ。

「差別をするな」という押し付けメッセージを与えても効果は少ないと思う。でも、偏見を捨てた良い作品をメディアでどんどん流すことで、見方を根こそぎ変えることができる。

特に、世界を変えるのは「Love」である。

世界を変える動機になるLoveは、ファンがファンフィクションを作りたくなる心境とも一致する。

それをPBSのIdea Chanelが素晴らしく説明してくれているから、英語が分かる人はぜひ観てほしい。
(この忙しい喋り方とヴィジュアルも、現在のアメリカ人の若者の間で流行っているスタイルである)

 

 

 

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