全米No.1ベストセラーになった「こんまりの人生がときめく片付けの魔法」 The Life-Changing Magic of Tidying Up

著者:近藤麻理恵 Marie Kondo
ハードカバー: 224ページ
出版社: Ten Speed Press
ISBN-10: 1607747308
発売日: 2014/10/14
適正年齢:PG(片付けたい人なら何歳でも)
難易度:中級(日本語からの翻訳なので日本人には読みやすい)
ジャンル:自己啓発書
キーワード:片付け、人生がときめく、spark joy、こんまり、KonMari、tidying up、Life-changing

家事の中で私が一番苦手なのが「片づけ」。けれども、今年わが家は大規模な増改築をすることになり、家中のものをすべて家から一旦出さなければいけなくなった。22年前に東京から香港へ、20年前に香港からボストンに引っ越したことでずいぶん身軽になった筈だったのに、20年たったらモノだらけになっていた。

実を言うと、片付けをテーマにした自己啓発書をずっと避けていた。以前「これを読まずして年は越せないで賞」の候補作Zero Waste Homeを読んだときに激しい拒絶反応を起こし、それ以来片付けに関する本を見るたびに逃げている。

けれども、目の前に迫った「引っ越し」のためにモチベーションが欲しくなった。

そこで、全米で注目を浴びている「こんまり」さんの「人生がときめく片付けの魔法」の英語版を読んでみることにした。モチベーションを得るだけでなく、アメリカで大ベストセラー(5月14日現在、アマゾンでNo. 1の堂々たる全米トップ)になっている現象に興味を持ったからだ。

アメリカではこれまで沢山の「片付け術」の本が刊行されている。そして、私が知っている人の家は、日本人の家族や知人の家よりずっと片付いている。夫の実家、二人の義弟の家、親友の家のいずれも、いつ訪問してもインテリアデザイン雑誌に載せられる状態だ。だから、日本人が日本人向けに書いた本がアメリカでこんなに売れたのは本当に不思議だった。

読んでみて感心したのは、著者(こちらではKonMariと呼ばれている)が「片付けられない人」と「片付けが得意な人」の心理と傾向を熟知していることだった。モノが溜まった理由や、捨てられない理由など、心当たりがあることだらけ。事例も、「これは私だ!」とか「これは夫。これは姑」と自分や周囲の人がすぐに浮かんでくる。

でも、日本人向けに書かれたものだから、アメリカの住宅事情や文化背景に合わないところがある。それなのにアメリカの読者の評価は高い。

じつは、アメリカの読者は文化と風習の違いそのものを楽しんで読んでいるのだ。

モノをただの無機質なものとして扱わずに心があるものとして感謝したり、休ませてあげたりするという考え方は、アメリカ人にとって本当に新鮮なのだ。また、これまでのような「要らないものを捨てる」というアプローチではなく、「joyをsparkするものだけを保存する」というポジティブさに「a breath of fresh air」を覚えている。この二つのアプローチは似ているようで全く異なる。これも大ヒットの秘密なのだろう。

私が勝手に「読書での双子」と読んでいる(本当は大変おこがましいのだけれど)Nick Morgan氏が、去年の11月に既にこの本を読んでいたことを知った。彼は、”I was delighted to discover that my lifetime habits of tidying are roughly in line with Marie Kondo’s, the expert’s”と書いている。Nickの家は、本当にスッキリと綺麗なのだが、それでもまだ足りなくて” My goal is to have a house as clear and clutter-free as a Japanese tea-ceremony room or house. “と、茶室か数寄屋のような状態がゴールのようだ。ますますプレッシャーを感じる。

「こんまり」本の最大の魅力は、現実的であり、誰にでも実行可能であり、しかもポジティブなところだ。その点が、私が「敵意」を覚えたZero Waste Homeとはまったく違う。あの本のようなスノッブさはまったくない。そして、読者に罪の意識も与えない。「ここは私に合わないな」と思っても、全体的に「よし、こんまり式でやってやろうじゃないか!」と思わせてくれる。

私は元々モノにあまり「ときめき」を覚えない人なので、それを基準にすると服とかはほとんど何も残らない。だから片付けは簡単な筈だが、そうもいかない。

私は大切な人に関わるモノへの執着心が異常に強いのだ。たとえば、祖母の時計とか、中学生になったときに両親から贈られた万年筆とか、娘が小学生のときに書いてくれた詩とかである。使わないからふだんは箱に入っている「ガラクタ」である。

こんまりさんは、そういったモノに関して、それらを捨てても思い出は残る、そちらのほうが大切と諭してくれるし、たいていのものはそうだと思う。感謝してさようならすればいいのだろう。

でも、その役に立たないし、誰にとっても価値がないモノを目にするたびに胸に押し寄せる思いがある。この甘酸っぱくて、切ない感覚は、綺麗な服に対して覚える「ときめき」より強い。これも「ときめき」の一種なのだろうか……。

いっぽう、毎日使う役立つ品々に対しては感謝の気持ちはあるけれどjoyはsparkしない。

熱い思いを優先すると、私の手元に残るのは全部「ガラクタ」になってしまう。

私の「片付け」はまだ始まったばかりだから、この悩みを解決するまでにはまだ時間がある!(そう言っている間に引っ越しのデッドラインが来てしまいそうな気もするが……)

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