現代アメリカの底辺で芽生えた絶望的な愛を描く、ノンセンチメンタルなラブストーリー Preparation for the Next Life

著者:Atticus Lish
ペーパーバック: 417ページ
出版社: Tyrant Books
ISBN-10: 0988518333
発売日: 2014/11/11
適正年齢:PG 15+(セックス&バイオレンスあり。罵り言葉も多い)
難易度:超上級(文章は短く、中級レベルでも直訳的な理解はできる。だが、現代英語を肌で理解できないと、登場人物の心理など作品の本質が理解できない)
ジャンル:文芸小説/現代小説/ラブストーリー/スリラー
キーワード:ウィグル族(中国新疆ウイグル自治区)、ニューヨーク、不法移民イラク戦争、孤独、悲恋
文芸賞:2015 PEN/Faulkner賞受賞作(その他多くの賞の受賞or最終候補)

砂漠から来た異邦人の少女と、砂漠で目撃した地獄から抜け出せないでいる若い元兵士がニューヨークの底辺で出会い、恋に堕ち、わずかな希望の光を追う、美しくも、非情なラブストーリー。

Zou Leiは、中国の北西部(新疆ウイグル自治区と思われる)でウィグル族の母と、中華人民共和国軍の兵士で漢民族の父の間に生まれ、両親の死後、生き延びるために長い旅を経てアメリカに密入国した不法移民だ。

いっぽうのBrad Skinnerは、イラク戦争での大怪我とPTSD(心的外傷後ストレス障害)があるにもかかわらず、除隊を許されるまでに2度もイラクに戻らされた元兵士である。

ニューヨーク市は、人口が多くても、孤独な者はさらに孤独になる場所だ。ウィグル族ハーフゆえに普通の中国人には見えないZou Leiは、不法移民の中国人たちの間でも仲間はずれにされており、田舎出身のSkinnerにとってもニューヨークは異国に近い。ふたりを引き寄せたのは、互いの中にある深い「孤独」だった。

後遺症をドラッグや酒で誤魔化し、仕事もせずに除隊時に得た軍からの給与をつかい果たすだけのSkinnerと、どんな逆境でも生き延びるための対策を練り、軍人の父から学んだように肉体を酷使して堅実に働いて生きようとするZou Leiは、まったく異なる類の人間だ。この二人が相手の中に見出すのは、絶望の中の僅かな光なのである。

ニューヨークを舞台にした「ニューヨーク小説」は毎年数えきれないほど刊行される。現代の愛を描いた小説もそうだ。面白い本も沢山あるが、Preparation for the Next Lifeほど胸に響き、忘れられない小説はめったにない。読了後、夢の中でもずっと考えていたくらいだ。

何がこのデビュー作を特別にしているのだろう?

まず、この小説に描かれている現代アメリカには、作りものの胡散臭さがない。

イラク戦争の後遺症に苦しむSkinnerが溺れる者が藁を掴むようにZou Leiにしがみつく心境や、現実的な視点を持ちつつも希望を探そうとするZou Leiの雑草のような強さは、恋愛小説にはないリアリスティックなものだ。同時テロ後にブッシュ政権がテロ対策として作った愛国者法(Patriots Act)で非人間的に扱われる不法移民、その不法移民を活用しているアメリカ経済、虐げられている者同士の差別、など現代アメリカの底辺の日常が細やかに描かれている。

また、Lishの文章はゾクゾクするほど詩的で洗練されている。スタッカートのような短い文章の連続で、私たちが知らないニューヨークの街角や、戦争の酷いシーンや、砂漠の風景が、鮮やかに浮かんでくる。

こういった作品が書けるのは、著者のAtticus Lishに、中国で英語を教えたことや、米軍海兵隊、数々のブルーカラーの仕事の経験があるからだろう。そして、ベテラン作家のような文章は、レイモンド・カーヴァーの編集者だった父のGordon Lishの影響があるのかもしれない。直接父から学んでいなくても、文学に囲まれて育ったという意味で。

だが、教えて学べるようなテクニカルな部分を超越しているのが、この本の魅力だと私は思うのだ。

どこにも愛すべきところがない人物に感情移入させ、センチメンタルになりそうな設定では覚めた視線を保ち、他の作家が文芸小説としての技巧を優先しそうなところで登場人物の生の感情を晒す。この絶妙のバランスに、気づかないうちに胸を掴まれている。

21世紀初頭のアメリカを代表する小説として後の時代に残すべきラブストーリーだ。

*ところで、このTyrant Booksというのは風変わりな小規模の出版社で、大手出版社が手を出さない(拒否する)ような作品ばかりを選んで出版することで知られている。

LishのPreparation for the Next Lifeもその一つで、2014年末に(大手出版社が力を入れる作品のようにハードカバーではなく)ソフトカバーで出版されたときには、沢山売れることなど期待されてもいなかった。ところが、思いがけなくヒットし、多くの文芸賞まで受賞することになったのである。

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