文芸小説のように美しく、面白い、全米で注目の女性研究者の回想録 

著者:Hope Jahren
ハードカバー: 304ページ
出版社: Knopf
ISBN-10: 1101874937
発売日: 2016/4/5
適正年齢:PG15
難易度:上級レベル
ジャンル:回想録(サイエンス)/ノンフィクション
キーワード:女性研究者、サイエンス、科学、生物学、植物、理系女子
これを読まずして年は越せないで賞候補(渡辺推薦)

ネットでときおり「リケジョ」という言葉を目にする。「理系女子」のことらしい。数学、化学、物理、生物といった学問を学び、それらを一生の仕事として選択する女性が少ないためか、物珍しさが含まれた表現だ。そもそも人を「文系」や「理系」に分けられるのか?という疑問や、「女性の脳は通常理系には向いていない」という先入観なども感じられるので、ネガティブにとらえる人も少なくない。

ハワイ大学でgeobiology(地球環境と生物との関係を探る)という分野の生物学の教授を務めるHope Jahrenの回想録『Lab Girl』のタイトルは、「ラボの女の子」という意味合いで、「リケジョ」のような軽い響きがある。だが、読み始めたとたん、そういった印象がすっかり吹き飛んでしまう。

「みな海が好きだ。いつも、なぜ海洋生物学をやらないのかと私に尋ねる。なにせハワイに住んでいるから。そこで私は答える。なぜなら、海は、とても空っぽで、孤独なところだから。陸には、海の600倍もの生物がいる。そして、そのほとんどが植物だ。標準的な海の植物は寿命が20日しかない単細胞だ。けれども標準的な陸の植物は100年以上生きる2トンもある樹木なのだ。」
Jahrenは、自分が愛する植物のこと、たとえば私たちがふだん気にもとめない「タネ」について独自の詩的な言葉で語る。

「タネは待ち方を知っている。ほとんどのタネは育ち始める前に数年待つ。桜のタネなど100年くらい平気で待つ。いったい何を待っているのかは、そのタネのみが知る。温度、湿度、光、ほかにもいろいろなものが組み合わさった独自の誘発があって、ようやくタネは清水の舞台から飛び下りる(jump off the deep end)決意をする。一度しかない成長のチャンスをつかむために。」
そして、この章をこう締めくくる。
「それぞれの始まりは、待つことの終焉だ。私たちは、たった一度の生存のチャンスを与えられる。私たちはそれぞれに不可能かつ不可避だ。大木のすべてが、かつては『待っていたタネ』だったのだ。

このように植物に感情導入するJahrenは、「数学ができないと科学者にはなれない」といった誤解やステレオタイプを考え直す機会も与えてくれる。
葉っぱのひとつを手にとって、「どんな緑色なのだろう?」「表と裏はどう違うのだろう?」「どのくらい乾燥しているのだろう?」などと考えた時点ですでにその人は科学者なのだと。
そして、ひとりの科学者から、科学者である読者に送る物語がこの回想録だ。

「この世界に、計算尺ほど完璧なものはない。唇に含んだときの磨かれたアルミ金属の冷たさ。光にまっすぐあてると、神が作り上げた完璧な直角が四隅に見える……」という詩的な文章で始まる第1章は、ミネソタ州の田舎町にあるコミュニティ・カレッジで物理と地理を教えた父親のラボを遊び場にして育った少女の姿が描かれている。アメリカ中西部のミネソタ州には北欧からの移民の子孫が多い。1年のうち9ヶ月は地面に雪があるという厳しい環境を選んで住み着いた彼らは、愛情や親しみを表現しない無口な人々だ。才能がありながらも子育てのためにキャリアを諦めた母親は、娘に暖かい愛情をそそぐかわりにチョーサー(中世イングランドの詩人)やカール・サンドバーグ(現代アメリカの詩人)を教えたのだが、そういう才能を学校で見せるとのけ者にされる。Jahrenは、学校では普通の女の子のようにゴシップに加わるふりをしたが、夕方にはその仮の姿を脱ぎ捨てて、父親のラボに逃げ込んだ。そこでの女の子が、Jahrenにとっては真の自分の姿だったのだ。

その後、Jahrenは、ミネソタ大学を優秀な成績で卒業し、カリフォルニア大学バークレー校で博士号取得してすぐにジョージア工科大学准教授の地位を獲得し、その後ジョーンズホプキンズ大学を経て、現在はハワイ大学教授である。この経歴だけを書くと、順風満帆の人生を歩んできた学者のように感じる。だが、この本を読むと、ふつうの人は学者のイメージと現実のギャップに驚くに違いない。

研究者がやりたいこと(研究)をするためには、使えるラボを確保するための教授職と研究費が必要だ。ラボの責任者の葛藤の大部分は、研究そのものではなく、この2つを確保することなのだ。

また、Jahrenは仕事にのめり込むと、食事もろくに取らず、シャワーも浴びず、1日のほとんどを研究室で過ごすようなワーカホリックである。でも、女性として科学の分野で働くのは厳しく、偏見や身の危険にも晒されやすい。ゆえに、双極性障害もある彼女はときおり普通の生活すらできなくなることがある。

男女平等が進んでいると思われているアメリカでも、「理系女子」であることは容易ではない。JahrenはNPRのインタビュー でこう語っている。
「女性の身体を身にまとって世界を渡り歩くのは厳しいものです。科学(の世界)は安全ではありません。これまで何度も公の場で発言しましたが、(女性に対する)ハラスメントから逃れられないのです。科学の世界にはこういった権力の不均衡がないという幻想がありますが、その幻想がいかに強いのかすら認識されていないのです。恥ずかしいことですが、私も若い頃には、それが、女性が科学者になるために受け入れざるを得ない代償だと思っていました。どうしても科学者になりたくて、一日でも多くラボで過ごしたくて、よそ者として対等に扱われないことも、男の子たちと一緒に遊ぶために我慢しなければならないことなのだと」「…でも、私は自分の研究室の学生にはその犠牲になってほしくない。私が(この現状を)変えることができなくても、少なくともはっきりと公言する義務があると思うんです」

だが、その切実なメッセージは『Lab Girl』のほんの一部でしかない。

詩のように美しい植物の描写、北極圏でのフィールドワーク、弟のような存在になったエキセントリックなラボ管理者ビルの逸話など、ときおり文芸小説を読んでいるような錯覚を抱くほど波乱万丈で面白い。

「女性科学者による回想録」という説明文が与えるイメージを捨てて読めば、必ず心に響く出会いがある本だ。

ニューズウィーク日本版に掲載)

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