人生の選択を間違った母と息子がたどるシニカルで不条理な人生を心優しく包みこむ2016年の大作 The Nix

著者:Nathan Hill(小説ではこれがデビュー作)
ハードカバー: 640ページ
出版社: Knopf (2016/8/30)
ISBN-10: 110194661X
発売日: 2016/8/30
適正年齢:PG15(性的な内容はあるが高校生でもOK)
難易度:上級レベル(ページ数は多いが、文芸小説のなかでは読みやすい文体)
ジャンル:文芸小説/現代小説/風刺小説
キーワード:ベトナム戦争、反戦運動、過激派左翼、60年代、1968年民主党全国大会、シカゴ、オンラインゲーム、性的虐待、ラブストーリー、親子関係、The Nix(北欧の伝説の生物)

シカゴ近辺の二流大学で出来が悪い学生に英文学を教えるSamuel Andresen-Anderson(タイポではなく、父の母の名字がAndresenとAnderson)は、34歳になった今もこれといった達成は何もしていない。このままではいけないと思いつつも、かさむ借金のストレスから逃亡するために、エルフとオークが戦うオンラインゲーム「World of Elfscape」に没頭する不健康な毎日を送っている。

ある日、Samuelは見知らぬ弁護士から電話を受け取る。自分が小学生のときに家を出たきり20年以上音信不通だった母のFayeが、大統領候補を襲撃して逮捕されたというのだ。弁護士は、「大学教授」という肩書を持つ息子が情状酌量を請えば効果があるとしてSamuelに手紙を書くよう要求する。

Samuelは、神経質で泣き虫だった小学校6年生の自分を置き去りにした母に憤りしか感じないが、「なぜ?」という問いへの答えを求めて母に会う。だが、Fayeは何も語ろうとしない。

そのいっぽうで、Samuelは出版社のエージェントとある取引をする。数年前にある短編小説で注目を浴びたSamuelは小説の契約を交わし、高額のアドバンスを受け取った。しかし、小説は書けず、金は使い果たしてしまった。利子を含めて返却しなければ訴えると脅され、Samuelは「テロリスト」として有名になった母の暴露本を書くことを約束した。しかし、本のために調査をするうちに、息子が知らなかった母の過去が浮かび上がってきた……。

The Nixは、それぞれがひとつの小説として成り立つほど濃いストーリーがいくつも絡んだとても野心的な小説だ。
主人公のSamuelと息子を置き去りにした母Fayeの関係。Samuelが子ども時代から憧れていた少女Bethanyとの関係、Bethanyの双子の兄との複雑な友情関係、宿題の論文の盗用をSamuelに指摘された女子大生の企み、Fayeの父親と娘の関係、大学に憧れていたガリ勉少女のFayeが大学を中退して故郷に戻ったミステリ、60年代の過激派と警察の関係、ベトナム戦争反対のデモが過激化した1968年の民主党全国大会、Fayeを滅ぼそうとする判事の過去、Fayeの父がノルウエイに残した過去と伝説の生物Nix……。

これらをひとつの小説にまとめるというのは、野心的すぎると感じるだろう。
だが、奇跡的に、ちゃんとまとまっているのだ。しかも、「人生とはこういうものかもしれない」と、とてもリアルに感じさせてくれる。

この小説に最初に引き込まれたのは、Hillの観察眼と文章力だ。
それぞれの時代と、人々を、皮肉なユーモアたっぷりに描いている。その表現があまりにも的中しているものだから、ニヤニヤし、吹き出し、そして、胸が痛くなるほど悲しくなる。

この小説が何よりも素晴らしいのは、優れた文芸小説なのに、人間への優しさを忘れていないことが。

最初のうちは、主要人物のSamuelとFayeを含めて好感を抱ける登場人物は皆無だ。みんな、どこかが壊れているし、自己中心的だ。
そのために、この小説そのものを諦めてしまう読者もいるかもしれない。

だが、そこで諦めず、読み続けて欲しい。なぜなら、そのうちに奇跡が起こるからだ。
これらの欠陥だらけの人々が、愛おしくなるのだ。
失敗だらけの人生でも、やりなおしができそうになる。そして、周囲のダメな人々を許してやりたくもなる。

この奇跡を、ぜひ体験してみてほしい。

●トーマス・ピンチョン、ジョン・アーヴィング、ジョナサン・フランゼンなどが好きな人にお薦め。
(個人的には彼らの本よりも好き。Big-heartedだから)

渡辺由佳里 Yukari Watanabe Scott についてhttp://youshofanclub.comエッセイスト、洋書レビュアー、翻訳家。兵庫県生まれ。 助産師としてキャリアをスタート。日本語学校のコーディネーター、外資系企業のプロダクトマネージャーなどを経て、 1995年よりアメリカに移住。 2001年に小説『ノーティアーズ』で小説新潮長篇新人賞受賞。翌年『神たちの誤算』(共に 新潮社刊)を発表。他の著書に『ゆるく、自由に、そして有意義に』(朝日出版社)、 『ジャンル別 洋書ベスト500』(コスモピア)、『どうせなら、楽しく生きよう』(飛鳥新社)など。 翻訳には、糸井重里氏監修の訳書『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社)、『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)など。 連載 Cakes(ケイクス)|ニューズウィーク 日本版 洋書を紹介するブログ『洋書ファンクラブ』主催者 Author, translator, and English book reviewer for Japan Market. Author of "500 best books written in English" for the Japanese market. English book reviewer for Newsweek Japan. Amazon.co.jp Top 500 reviewer.

人生の選択を間違った母と息子がたどるシニカルで不条理な人生を心優しく包みこむ2016年の大作 The Nix」への4件のフィードバック

  1. 渡辺様
    MLに登録し、いつも拝見しています。
    今回紹介していただいたネーサン・ヒルという方は以前ジョン・アーウィングとの対談をしている特集記事を何かで(恐らくガーディアン)目にし、アーウィングがとても気に入っている様子だったのでThe Nixという作品は気になっておりました。ありがとうございます。
    翻訳出るのでしょうか。出るといいなぁ。

    いいね: 1人

  2. Mutsumiさん、大村さん、
    コメントありがとうございます。

    ほんとに面白かったです。
    すべての文章に注意を払っていることがわかります。
    ここ、うまいなあ〜、と感心し、味わいながら読みました。

    いいね

  3. こんにちは。
    メール配信楽しみに読ませて頂いています。この本も読んでみたいです。(英語力次第ですが)
    それと今年もあとわずか、年を越せないで賞の発表もそろそろでしょうか〜〜^o^
    こちらも待っております。

    いいね

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