43代大統領ジョージ・W・ブッシュの意外な引退生活 『Portraits of Courage 』

著者:George W. Bush
ハードカバー: 192ページ
出版社: Crown
ISBN-10: 0804189765
発売日: 2017/2/28
難易度:中級(半分は絵で、あとは人物の紹介文)
ジャンル:アート本(ポートレート)
キーワード:ジョージ・W・ブッシュ、アフガニスタン紛争、イラク戦争、退役軍人、油絵、ポートレート

私が住んでいるマサチューセッツ州は「アメリカで最もリベラルな州」として知られている。それゆえ、高所得者優遇の減税で国民の収入格差を広げ、同時テロ後の国民感情を利用してネオコン(新右翼)のアジェンダを推し進め、アフガニスタン紛争とイラク戦争を始め、クリントン政権が黒字にした財政を大幅赤字にし、経済成長を遅らせ、金融危機を招いた43代ブッシュ大統領に対する反感は強い。

ところが、最近になって、ブッシュ大統領を毛嫌いしていた人たちが、「ブッシュがそう悪人には思えなくなってきた」、「懐かしさすら感じる」と言い出した。アンチ移民、アンチ環境保護、アンチ芸術、アンチ科学などの政策を押し進め、根拠がない噂を真実と主張し、自分に都合が悪い情報を載せるメディアを「偽ニュースメディア」と呼ぶトランプ大統領と比べたら、ブッシュ大統領が極めてまっとうな人物に見えるからだ。

ホワイトハウスを離れてからのブッシュ大統領の言動も尊敬できるものだった。

自分とは異なる理念を持つ(と推測できる)バラク・オバマ大統領の在任中、ブッシュは一度として公の場で現職大統領の非難や批判をしなかった。テレビや講演などでオバマ大統領批判を繰り返したディック・チェイニー元副大統領とは対称的に、ブッシュは沈黙を貫いた。「アメリカ大統領」という地位を重視し、尊重しているからだろう。

そんなブッシュが初めて公の場で現役大統領を批判した。それは、同じ共和党のトランプだ。証拠もなしに「自分のコミュニケーションを盗聴した」と前任者のオバマ大統領を批判するトランプが、「アメリカ大統領」の尊厳を破壊しつつあるからかもしれない。

CNNやニューヨーク・タイムズなど大手メディアを「偽ニュースメディア」で「アメリカ国民の敵」と呼ぶトランプに対して、テレビで質問を受けたブッシュはこう答えた。「私は、民主主義にとってメディアは不可欠なものとみなしている」、「私のような者の責任を問うためにも、メディアは必要。権力というものは、とても依存性があり、腐敗しがちなものです。だからメディアが権力を濫用する者に責任を取らせるのは非常に重要なのです。ここであれ、別の場所であれ」

現役時代のブッシュからは想像できない発言だ。

引退してから始めた彼の趣味も、この変貌に影響を与えているのかもしれない。

引退して3年後の2012年、ブッシュ大統領は、イェール大学の歴史学の教授であるジョン・ルイス・ギャディスから、ウインストン・チャーチルの『 Painting as a Pastime(気晴らしとしての絵描き)』という本を薦められた。ブッシュが尊敬するチャーチルは、アマチュア画家としても知られていた。大統領としての多忙な生活を離れてantsy(じっとしていられない、そわそわした感じ)だったブッシュは、この本から刺激を受けて絵を書き始めたのだった。

それからしばらくして、ブッシュ元大統領は、テレビのトーク番組に現れて自分が描いたペットの絵を公開した。上手とは言えない油絵だったが、「ヘタウマ」的な魅力があった。トーク番組の司会者とのやりとりも、現役時代のネオコンのイメージとはかけ離れていて、自嘲的な台詞もお茶目な印象を与えた。

「彼は今でも絵を描いているのだろうか?」と思っていたときに出版されたのが、『Portraits of Courage : A Commander In Chief’s Tribute To America’s Warriors』だった。掲載されている絵のすべてがカラー版のずっしりとしたハードカバーだ。中身を見て驚いた。テレビで見たときから、ずいぶん上達している。しかも、すべて人物像なのだ。

43代大統領夫人のローラ・ブッシュは、本書の紹介文にこう書いている。

「ジョージと私が結婚したとき、もし誰かが『ご主人は将来大統領になる』と言ったら、『そうかもしれないわね』と思っただろう。彼はそのとき下院議員に立候補していたし、私自身も政治好きだったし。でも、もし誰かが『将来、あなたはジョージの描いた絵を掲載している本のまえがきを書くことになるだろう』と言ったとしたら、『そんなこと、ありえないわ(No way)』と答えただろう」

読み終えたときに私の頭に浮かんだのは次の台詞だ。
「ジョージ・W・ブッシュ大統領の任期中に、もし誰かが『あなたは将来ブッシュ大統領の著作を購入し、しかも好意的なレビューまで書くだろう』と言ったとしたら、『No way!』と答えただろう」

上記の友人や知人のように、私もブッシュ大統領は好きではなかった。不要な戦争で殺されたアフガニスタンやイラクの民間人のことを思うと、今でも怒りがこみあげる。自由意志で戦争を選ぶことができないアメリカ人兵士や、その家族の苦悩にも胸がつまる。多くの兵士が命を落とし、子どもたちは親を失った。たとえ生還できても、手足を失ったり、心的外傷後ストレス障害(PTSD)にかかったりした兵士と周囲の人々の苦悩は終わらない。

この本には、2001年の同時テロ以降に従軍し、アフガニスタンやイラクで負傷した約100人の軍人のポートレートが載っている。義肢もしばしば登場する。

だが、ブッシュに描かれた軍人たちは、義肢で見事なゴルフのショットをし、ブッシュ本人とダンスを踊り、笑顔で仲間と肩を抱き合っている。つまり、深い傷にも負けずに立ち上がる彼らの勇敢さを強調するものだ。

何よりも印象的だったのが、ブッシュの絵から、それぞれの軍人の人格や個性、心理状態がしっかりと伝わってくることだ。脳損傷と心的外傷後ストレス障害への治療として、左右が異なる色のコンタクトレンズを入れている男性の表情からは、彼の絶え間ない苦痛が伝わってくる。モデルにした人物に興味がなければ描けないポートレートだ。これまで知らなかったブッシュ大統領に出会ったような気がして、感慨を覚えた。

読んでいるうちに浮かんできたのはAtonement という単語だ。キリスト教の影響を受けており、贖罪、罪ほろぼし、償い、といった意味がある。

同時多発テロの首謀者だったウサマ・ビンラディンを支援するタリバンが統治していたアフガニスタンでの紛争は、大統領がブッシュでなくても起こっていた可能性は高い。アメリカ国民の多くがテロへの報復を求めていたからだ。だが、それに引き続いて起こったイラク戦争は、ブッシュでなければ起こっていなかっただろう。「サダム・フセインが大量破壊兵器(WMD)を所持している」という主張で国民を説得してイラクを侵略したのだが、結局、WMDは見つからなかった。2016年6月時点での、イラク戦争におけるアメリカ軍人の死亡者数は4424人、負傷者は31952人だという。

ブッシュは、それぞれのポートレートをシンプルな言葉で紹介する。彼らに出会ったきっかけ、負傷したときのこと、回復までの道のり、そして現在の状況を綴り、逆境に負けずに立ち上がった彼らの勇気を讃える。

まえがきでも、目に見える外傷だけでなく、PTSやTBI(外傷性脳損傷)の深刻さも語り、「私は国のために尽くした男女に栄誉を与え、彼らの犠牲と勇気に尊敬の念を示すひとつの方法として」これらのポートレートを描いたと書いている。そして、「残りの私の人生をとおして、彼らに敬意を表し、支えていくつもりだ」とも。

ブッシュ大統領は、敬虔なキリスト教徒でもある。自分の過ちを現在まで認めていないが、多くのアメリカ軍人の死は、彼の胸に重くのしかかっているはずだ。後遺症に苦しむ軍人とその家族を支援する非営利団体『George W. Bush Presidential Center』を作り、傷を負った軍人らを招いてゴルフをし、彼らのポートレートを描き、その本の収益を前述の非営利団体に寄贈するブッシュ大統領は、自分の罪を償い、魂を清めようとしているような気がしてならない。

だが、その贖罪の対象がアフガニスタンやイラクの民間人まで届かないのは残念だ。

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