現代アメリカの戸惑いを描くサルマン・ラシュディの新作 The Golden House

著者:Salman Rushdie
ハードカバー: 384ページ
出版社: Random House/Jonathan Cape
ISBN-10: 178733015X
発売日: 2017/9/5
適正年齢:PG15(性的な話題は多い)
難易度:超上級(文章のみならず、掲載されている多くの歴史、政治、文学、映画などのリファレンスを理解できないと意図が理解できない箇所が多い)
ジャンル:文芸小説/現代小説(マジックリアリズム)
キーワード・話題:現代アメリカ、オバマ大統領、トランプ大統領、2016年大統領選挙、移民、家族ドラマ、インド、ムンバイ、ロシア民話、バーバ・ヤガー、ワシリーサ

インドのムンバイで生まれ、イギリスのケンブリッジ大学で歴史を学んだサルマン・ラシュディは、第二作の『真夜中の子どもたち』(1980年)でブッカー賞を受賞して作家としての地位を確立させた。だが、37年間にわたってインドを収めてきたネルー・ガンディー一家を批判したとみなされたラシュディは故郷を捨てざるを得なくなり、後に英国籍を得た。

彼の名を世界中に広めたのは4作目の『悪魔の詩』(1989年)だ。イスラーム教の開祖ムハンマドを題材にしたことでムスリム社会から激しい反発を受け、ラシュディは当時のイラン最高指導者ホメイニから死刑宣告を受けた。世界各国での翻訳者も暗殺のターゲットになり、日本では翻訳者の五十嵐一氏が殺された。
ラシュディは暗殺を逃れるためにイギリス警察の保護を受け、居住地を明らかにせずに何十年も潜伏生活を続けている。2000年からニューヨークに移住したラシュディの最新作『The Golden House』は、ニューヨーク舞台にしたもので、現代アメリカの揺れ動くアイデンティティを描いている。

オバマ大統領が就任した2009年1月、グリニッジビレッジの豪奢な「ガーデンズ」というコミュニティに移民らしき家族が住み着いた。ネロ・ゴールデンと名乗る富豪には、ペトロニウス、ルキウス・アプレイウス、ディオニュソスという3人の息子がいる。だが、ギリシャやローマの血統を連想させる彼らの名前が創作だというのは明らかだ。ゴールデン一家は、故郷のインドを捨ててアメリカに移住すると同時に、過去を捨て、自分たちを新しく創造したのであった。

同じコミュニティに住む青年ルネは、この謎めいた一家に魅了され、ドキュメンタリー映画を作ろうと思いつく。善と悪の矛盾が共存する独裁者ネロ、自他への憎悪に翻弄される天才的な長男、長男の憎悪の対象になる芸術家の次男、性的アイデンティティの圧迫に押しつぶされる三男、ネロが築いた帝国の乗っ取りを狙うロシア移民の三番目の妻は、魅力的な題材だった。しかし、ゴールデン家に密着して壮大な物語を身近で追ううちに、ナレーターのルネ自らが登場人物になってしまう。

虚構と現実が入り交じるラシュディ独自のマジックリアリズムはこの新作でも活かされている。ロシア民話から雨月物語の幽霊まで世界中の歴史、伝説、民話、映画、小説がトリビアのように登場する文章は、ときに低俗になるものの豪華絢爛で心地よく、15コースの贅沢なディナーを食べているような満足感を与えてくれる。
しかし、この快楽が逸楽になり、満腹すぎて耽溺に感じるときもある。

むろん、ラシュディのことだから、新作にも社会政治的な要素がある。

オバマ政権の8年間に起こるゴールデン家のドラマの背景には、アメリカの不穏な未来を予告する「ジョーカー」が蠢いている。ジョーカーの発言が大統領選挙中のトランプの発言そのままなので、誰のことかは明白だ。わざわざ緑色の髪のジョーカーにしたことに首を傾げたが、本人の名前を使ってトランプに満足感を与えたくなかったのかもしれない。

大統領選の投票日を寸前に控えたナレーター役のルネはこう悩む。
「ジョーカーが王になり、雌コウモリが牢屋に放り込まれたとしたら、それは何を意味するのか?(中略)僕は疲労困憊すると同時に不安に陥っていた。自分の国についての僕の考え方は間違っていたかもしれない。外界から隔離された狭い世界で育ったために物事が見えていないのかも。勝つためには十分ではないのかも。最悪のことが起こったとしたら、空から輝きが消え去ったとしたら、いったい何にどんな意味があるというのか?もし、嘘、中傷、醜さが……醜さがアメリカの顔になったとしたら。僕のストーリーにどんな意義があるのか?僕の人生、僕の仕事、メイフラワー号の家族と(アメリカが仮面を取り払うタイミングにちょうど間に合い)誇りを持って帰化宣言をしたばかりの新旧アメリカ人のストーリーにどんな意味があるのか」

緑色の髪の「ジョーカー」(トランプ)と彼が仮面を取り払ったアメリカの醜い顔に対するルネの憤りと絶望感は、直接的すぎて、効果的に表現されているとはいえない。彼に共感する読者はすでに同じ政治的立場を持つものであろうし、そうでない読者は「高圧的なリベラルらしい理解」と辟易するだけだ。皮肉にも、「外界から隔離された狭い場所で生きてきた(life in the bubble)」というルネの分析が作者のラシュディにも当てはまっている。

とはいえ、決して保守の一方的な批判小説ではない。男性から女性へのトランスジェンダーを差別するレズビアン過激派のTERFの話題など、リベラルの間でも存在する揉め事も取り入れている。

新しく到着した移民だからこそ見える「混乱するアメリカの顔」を描いたところに、『The Golden House』の魅力がある。

1 Comment

  1. サルマン・ラシュディの新作 The Golden House、今週の英文雑誌TIMEのカバーストリーとなっています。渡辺さんの書籍レヴュー的確な内容と思います。

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