政治上の「ナラティブ」の功罪を考えさせるヒラリーの回想録 What Happened

作者:Hillary Rodham Clinton
ハードカバー: 512ページ
出版社: Simon & Schuster Ltd
ISBN-10: 1471166945
発売日: 2017/9/12
難易度:上級(ストレートなので読みやすい)
ジャンル:回想録
キーワード:政治、アメリカ大統領選挙、ヒラリー・クリントン、ドナルド・トランプ、バーニー・サンダース、フェイクニュース

邦訳版が出ました。

2016年の大統領選を振り返るヒラリー・クリントンのWhat Happenedが9月12日に発売され、アマゾンのノンフィクション部門でベストセラーのトップになった。

予備選でオバマ大統領に敗れた2008年大統領選の後、再び立候補することを決意した経緯からショッキングな敗北とトランプ大統領就任後の現在に至るヒラリーの回想録には、読者を驚かせるような告白や暴露はない。筆者は、予備選から多くの候補者のイベントに足を運んで当サイトでレポートし、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』という本を書いたが、選挙で浮き彫りになったアメリカの部族化やメディアの不公平さ、投票日寸前のFBI長官の謎の行動など、重なる部分が多かった。

予備選のライバルだったバーニー・サンダースと情熱的なサンダース支持者からの不公平な攻撃に対するフラストレーションも遠慮なく書いている。そのダイナミクスをヒラリーの支持者がまとめたフェイスブックの書き込みが選挙中に有名になったのだが、本書ではヒラリー自身がそれを紹介している。

バーニー:アメリカは仔馬(子供が親におねだりするものの象徴)をもらうべきだ。
ヒラリー:仔馬の代金はどう工面するのですか? 仔馬はどこから入手するのですか? 仔馬の購入をどうやって議会に承諾させるのですか?
バーニー:ヒラリーは、アメリカには仔馬を得る資格がないと思っている。
バーニー支持者:ヒラリーは仔馬を憎んでいる!
ヒラリー:いや、仔馬は大好きですよ。
バーニー支持者:ヒラリーは仔馬についての政治的立場を変えたぞ!#WhichHillary?(どっちのヒラリーだ?) #WitchHillary (魔女ヒラリー)
ニュースのヘッドライン:「ヒラリーが全国民に仔馬を与えることを拒否」
ディベートの司会者:ヒラリー、あなたが仔馬について嘘をついたと人々は言っていますけれど、それについてどう感じますか?

もし、この本に「驚き」があるとすれば、サンダースへのフラストレーションを含めて、これまでヒラリーが書いた回想録の中で、最も自分の感情を正直に吐露している部分だ。

本書の中でも本人が書いているが、弁護士としてトレーニングを受けたヒラリーは、口を開く前にじっくり考え、数字などの根拠に基づいた正確なことを話そうとする癖がある。そのフォーマルさが、「計算深い」「何か隠しているのではないか?」「正直ではない」という彼女のネガティブなイメージにも繋がっている。また、常にポリティカル・コレクトネスであろうとするヒラリーに対して「いい子ぶりっ子している」という反感を抱く者がいるのも否めない事実だ。大統領夫人だった1990年代にダメージを受けたときからメディアとの関係も良いとはいえず、メディア取材に対して心理的な鎧をかぶってしまう。これが悪循環になってきたことはヒラリー本人も自覚している。

これまでの回想録では、正しいことを言おうとする努力や、言いたいことをがまんする硬さが「ヒラリーの回想録は退屈」という評価につながっていた。だが、What Happenedには、これまでに見られなかったような本音や率直な意見だけでなく、ユーモアも見られる。

たとえば、大統領就任式でのシーンだが、トランプの「アメリカ第一」という排他的な演説に対して、出席していたジョージ・W・ブッシュ元大統領が「That was some weird shit(なんともけったいな戯言だったな)」とテキサス式単刀直入な表現で感想を言ったことについて、「私もおおいに同感」と書いている。

また、「この本を読んでいる人の多くが、将来大統領選で負けるとは思わないけれど」と書いた後で(でも、もしかしたら読んでいる人がいるかも。ハイ、ジョン、ハイ、ミット、元気にしてる?)と、2008年の敗北者ジョン・マケイン、2012年の敗北者ミット・ロムニーに声をかけたりしている。

トランプのプーチンに対する過剰な関心と寛容を「ブロマンス」(恋人ではないけれど、それ以上にロマンチックな男性同志の友人関係)と呼び、プーチンに会ったときのことを「プーチンと会談したとき、地下鉄で横柄に脚を広げてほかの人の席を独り占めしている 男性みたいだった」とも表現している。

トランプへの批判は、周知の事実ばかりなのでここに書く必要はないが、ヒラリーは、リベラルのメディアも強く批判している。

選挙中の偏った「公平さ」だけではない。選挙後のメディアに流行っている「都市部のインテリ批判」もそうだ。『Hillbilly Elergy』に書かれたような繁栄に取り残された地方の白人たちのやるせない気持ちを民主党が汲み取り損ねたのは事実だが、だからといって、高学歴者や高収入者が言い訳をしなければならないような「反知性主義」的な雰囲気が高まっているのは問題だ。

それについて、ヒラリーはこう書いている。
「大統領選以降、マスコミの評論家たちが型通りのトランプ支持者をやみくもに崇拝するがあまり、東海岸と西海岸に住む大卒の学歴を持つ者の意見を、見当違いだとか、現実に疎いとか言って却下する。 それに対して気が狂いそうになる」

「負けたのだから黙って消えてくれ」とか「言い訳は聞きたくない」という批判も予期していて、ヒラリーはこう反論している。

「終わってしまった大統領選を少しでも『ほじくり返す』ような発言は聞きたくはないという人がいるのは理解できる。みな疲れ切っている。トラウマを抱えている人もいる。政治からは距離を置いて、国家の安全という分野に絞ってロシアについて語りたい人もいる。それらすべてがよくわかる。けれども、何が起こったのかを理解するのは重要だ。なぜなら、二度と同じことを繰り返さないための唯一の方法だから」

こうも書いている。

「もしすべてが私のせいだと認めてしまうと、メディアは内省をする必要がなくなってしまう。共和党はプーチンの介入が大したことではないと言うだろうし、民主党は自分たちの思い込みと処方に疑問を持つ必要がない。そのままふんぎりをつけて次に進んでしまう」

ヒラリーの回想録で最も重要なのは、じつは、ここではないかと思うのだ。私たち有権者は、敗北者にすべての責任を押し付け、自分では内省もせずに前に進んでしまう。ジョージ・W・ブッシュが勝ち、アル・ゴアが負けたときもそうだった。イラク戦争が起こり、いまだに続いているのは、ブッシュだけではなく、アメリカ国民のせいでもあるのだ。

むろん、すべての読者がヒラリーに共感するわけではない。

発売の翌日のアマゾンのレビューは、5つ星が90%で1つ星が5%の平均4.8だった。この時点では、3つ星評価はなんと0%だった。

アメリカの政治家の本は、それが保守であれリベラルであれ、支持者からの5つ星と不支持者の1つ星という極端な評価ばかりが集まる。こと政治になると、本の感想ではなく、人気投票になってしまうのだ。ヒラリーの新刊の評価が高くなっている最大の要因は、これまでとは異なり、アマゾンが購入もせずに評価する人を取り除いていることだ。

アマゾンのアルゴリズムの是非はここではさておき、わざわざ1つ星を与えるために本を購入している人が5%もいるというのは興味深い。普通なら、どんなに嫌いな政治家であっても、選挙に負けたら忘れるものだ。ところが、ヒラリーに関しては、悪評価をするために本をわざわざ購入する人がこんなにいるのだ。それだけ影響力を持つ人だともいえる。

アマゾンやGoodreads、その他のサイトで実際に読んだ人のレビューを比較すると、「非常に率直。ヒラリーを誤解している人はぜひ読むべき。ここに書かれていることを理解し、アメリカの将来のために活かすべき」というポジティブなものか、「言い訳ばかり。全部他人のせいにしているが、有権者をムカつかせたお前自身の責任だ」というネガティブなものにはっきり別れている。

ポジティブな意見を持つ人と、ネガティブな意見を持つ人の世界は、同じ人物を評価しているとは思えないほど異なる。それだけでなく、「政治とは何か?」「政治家とは何をする人なのか?」という見解も大きく異なる。同じアメリカに住んでいながらも、大きくすれ違っている。

これは、選挙中にソーシャルメディアで人々が交わしていた意見とほとんど変わらない。まるで、いまだに選挙を戦っているような雰囲気だ。選挙中の取材でも感じたことだが、これは、ある一定のグループが共有する「ナラティブ」の違いを反映しているような気がする。

「ナラティブ(narrative)」とは、「ストーリー、あるいは、ある出来事の説明」のことだ。「特別な見解や主張を支持するために注意深く選ばれた出来事、体験などをつなぎ合わせ、説明するストーリー」というニュアンスもあり、聖書もナラティブのひとつだ。

Sapiens(サピエンス全史)』で著者のユバル・ノア・ハラリが書いていたが、「神、国家、通貨、人権」といったイマジネーションの中にしか存在しないものを信じるユニークな能力があるからこそ、サピエンスは大人数の社会を構成することができた。宗教にせよ、経済にせよ、政治にせよ、多くの人が「ナラティブ」を信じ、共有するからこそ存在できるのだ。

大統領選の間に、アンチ・ヒラリーの有権者の間で何度も耳にした特定のナラティブがあった。
それは、「ワシントンの政治家は腐敗している」「ウォール街を解体すれば、大学を無料にできる」「それに反対する政治家は、ウォール街から買収されている」といったものだ。
それらは、政治集会で耳にしたフレーズであったり、ソーシャルメディアで仲間が共有していたものだったりした。

サンダース支持者とトランプ支持者には共通のシンプルなナラティブがあったが、ヒラリー支持者にはなかった。それは、サンダースとトランプが、有権者を説得できるナラティブを巧みに使ったことを示している。

だが、現代アメリカが抱えている問題は、国民が自分に与えられたナラティブを過信しているところにある。
ナラティブは、事実の場合もあれば、フィクションの場合もある。また、その境界が不明なものも。だが、多くの人は、それを意識せずにネットで情報を集め、「真実」として交換する。実際には、ロシアが仕組んだフェイクニュースの数々を読んでいたり、洗脳された人の書いたソーシャルメディアを読んだりしているのに、話を聞くと「自分で能動的に信頼ある情報を探し出した」と強く信じていた。

フェイクニュースが伝統的なメディアを圧倒した2016年の大統領選挙の影響は未だに続いており、フェイクニュースの正体が明らかになった現在でも、フェイクニュースを信じた人はその内容を信じ続けている。トランプの支持者の一部は、いまだにオバマ元大統領が外国で生まれたイスラム教徒だと信じているくらいだ。

ヒラリーの最大の失敗は、回想録で分析したことよりも、有権者に浸透しやすい「ナラティブ」を見つけられなかったことかもしれない。

オバマ大統領の元で国務長官を務めたときのヒラリーは、国民から69%という高い支持を受けていた。それは、実際にすばらしい仕事をしただけでなく、「かつてのライバルの元で、国のために献身的に働く国務長官」という、わかりやすくてポジティブなナラティブがあったからでもある。彼女は、メディアがそのナラティブを継続的に使ってくれることを期待していたのだろう。

しかし、大統領候補になったときに、ヒラリーは新人のつもりでナラティブを作り直すべきだったのだ。彼女は、メディアに「公正な」ナラティブを作ってもらうことを期待しすぎた。政治イベントで政策について詳細にわたって語るヒラリーをメディアが無視して「Eメール」にこだわったのは、そちらのほうが視聴者に売りやすい「ナラティブ」だったからだ。ヒラリーのメッセージは複雑すぎて政治の仕組みを知らない人には理解しにくく、理解できても、他人に広めにくかった。ヒラリーの回想録についても、同じことが言える。

だから、ヒラリーのナラティブに慣れている人は回想録に高い評価を与えるし、それ以外のナラティブを信じていた人は嫌悪感しか覚えないのだ。

ヒラリーの回想録は、良い意味でも悪い意味でも読者が信じているナラティブを変えることはない。

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