夏のオススメ課題書:チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの誰にもわかりやすい「フェミニズム」本

著者:Chimamanda Ngozi Adichie (チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ)
ジャンル:エッセイ/スピーチ
難易度:中級+(高校英語をマスターしている人なら、多少わからない単語があっても理解できる文章)

Cakesの新連載「まさかの自宅でウエディング」の4話「娘が『婚約指輪』を拒否したワケ」で私が信じる「フェミニスト」や「フェミニズム」について言及したのだが、そのついでに、しっくりと腑に落ちるフェミニズム本を「夏の課題書」としてご紹介しようと思った。
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著者は、日本でも多く邦訳出版されているナイジェリア出身のチママンダ・ンゴズィ・アディーチェだ。

まずは「We should all be feminist(男も女もフェミニストでなくちゃ)」だが、これは著者のTEDトークがビヨンセなどの著名人から絶賛されて話題になり、それを書籍化したものだ(日本語の字幕付きのTEDトーク)。

アディーチェが「フェミニスト」という単語を初めて耳にしたのは、子供の頃に親友だった少年から「フェミニスト」と呼ばれたときだ。単語の意味は知らなかったが、それがネガティブなものだということははっきりしていた。その時から始まり、彼女は何度も他人から「フェミニスト」がいかに、「不幸」で、「西洋かぶれの思想」を持ち、「男を嫌悪」し、「男性のために美しくすることを拒む」女であるかを聞かされてきた。そのたびに彼女は、「幸せなフェミニスト」、「幸せなアフリカ人のフェミニスト」と条件を加えてゆき、「男を嫌わず、男のためではなく自分のためにリップグロスやハイヒールを履く、幸せな、アフリカ人のフェミニスト」と自分を呼ぶようになった。(これはもちろん半分冗談であるが)、それほど「フェミニスト」という言葉にはネガティブな重荷があるのだ。

だが、ふつうに存在する「フェミニスト」は、多くの人が勝手に抱いているイメージとは異なる。

たとえば、ファンタジー小説『A Natural Hitory of Dragon』のシリーズだが、これは英国ビクトリア朝をモデルにした架空の国の女性科学者が主人公だ。貴族の妻や母という役割に息苦しさしか感じず、未開の地でドラゴンの生態を研究することに人生すべての情熱を抱く主人公が、男性だけが受け入れられる社会であらゆる壁にぶつかり、「男に生まれたかったとは思わない。ただ、女に生まれたことで自分がやれることを制限されたくないのだ」と言う場面がある。それが、多くの女性フェミニストの本音なのだ。

アディーチェの体験談は、昭和のなかばに育った私に重なることが多い。たとえば、最も成績が良い生徒がクラスの「monitor(学級委員長のようなもの)」になるという規則だったのに、成績の結果が出た時、担任(女性)はトップのアディーチェではなく次席の少年にその役割を任命したのだ。なぜなら、アディーチェは女でその少年は男だったから。私も、中学校で生徒会会長に立候補しようとしたとき、教師から「女は副会長にしか立候補してはならない」と言われ、結局副会長になったことがある。結果的に、朝会での司会とか面倒な仕事は私のほうが沢山することになったのだが。

こういう不公平なことに何度ぶつかっても、女性は「人から嫌われないように/好かれるように」笑顔でそれを受け入れることが要求される。それをやっていくうちに、それが「あたりまえ」のことになってしまう。だが、この「あたりまえ」のジェンダー意識が、女性だけでなく男性も束縛しているのが現状だ。

こういった社会を変えるためには、娘の育て方を変えるのはもちろん、息子の育て方も変えなければならない。そうアディーチェは語る。

息子はさておき、娘をどうしたら自立した強い女性に育てることができるのか?

それについて書いているのが『Dear Ijeawele, or a Feminist Manifesto in Fifteen Suggestions(イジェアウェレへ: フェミニスト宣言、15の提案)』である。

これを読んでいて、私が娘を育てた方針とよく似ていてニンマリした。

娘は現在26歳だが、アディーチェの『Americanah』を読んで母に薦めてくれるような娘に育っっている。

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「フェミニスト」の誤ったイメージを覆し、自分のためのおしゃれを楽しむアディーチェ(筆者撮影。無断転用禁止)

フェミニストについても、娘の育て方についても、男女にかかわらず「そうだよな」と納得しやすい文章なので、まだの方は、この夏ぜひチャレンジしていただきたい。

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