文芸サロンで酔っぱらいの超インテリたちの会話に立ち会ってしまった興奮と目眩を覚えるブッカー賞ロングリスト Frankissstein

作者:Jeanette Winterson
ハードカバー: 352ページ
出版社: Jonathan Cape
ISBN-10: 1787331407
ISBN-13: 978-1787331402
発売日: 2019/5/28(アメリカでは2019/10/01)
適正年齢:R(性的コンテンツ多し)
難易度:超上級(文章そのものより、背景に含まれている文芸や音楽などの幅広い知識が必要)
ジャンル:文芸小説/スペキュラティブ・フィクション
キーワード:フランケンシュタイン、メアリー・シェリー、ヴィクター・フランケンシュタイン、パーシー・シェリー、バイロン卿、クレア・クレアモント、エイダ・ラブレス、コンピュータ、AI、セックスロボット、トランスジェンダー
文芸賞:2019年ブッカー賞候補(ロングリスト)

ブッカー賞のロングリストに入ったイギリスの作家ジャネット・ウィンターソンの新作『Frankissstein(フランキススタイン)』は、その題名から想像できるように『フランケンシュタイン』をベースにしている。『フランケンシュタイン』は誰でも一度は耳にしたことがあるだろうが、作者のメアリー・シェリーついてはさほど知られていないだろう。この小説を理解するために必要なので、ざっと説明しておこう。

メアリー・ゴドウィンは、1797年、英国でフェミニストで文筆家の母と思想家で小説家でもある父との間に生まれた。その直後に母親が亡くなったので、メアリーは父から当時の女性としては珍しい高等教育を受けて育った。父の思想の支持者だったロマン派詩人のパーシー・シェリーと恋をし、シェリーが既婚者だったにも関わらずにまだ16歳のときに21歳の彼と関係を持ち、17歳のときに義理の妹であるクレアを連れてヨーロッパ大陸に駆け落ちした。その後シェリーの妻が自殺してシェリーと結婚したが、貧困に加えて産んだ子供を次々と亡くしたことがメアリーを心理的に追い詰めた。一方のシェリーは、鬱になる妻から距離を置くようになり、29歳のときにヨットの事故で亡くなるまでに多くの愛人を持った。

『フランケンシュタイン』は、1816年5月にバイロン卿がスイスのジュネーブの湖畔に借りていたディオダティ荘で、バイロン卿と彼の友人のジョン・ポリドリ、メアリーとシェリー、そしてバイロンと愛人関係になったクレアが共に過ごしていたときに生まれた作品だと言われている。雨続きで退屈したバイロンがそれぞれが怪談を書くことを提案し、メアリーがこのときに構想を練ったものが、1818年に匿名で出版されたのだった。

ウインターソンの『Frankissstein』は、1816年のジュネーブを舞台に、「Reality is water-soluble(現実は水溶性だ)」という一文から始まる。語り手は、理想を語るくせに結局はミソジニストでしかない男たちや、まったく頭脳を使おうとしない義妹に囲まれて自分と自分が置かれた環境を分析し続けるメアリーだ。

だが、ディオダティ荘の環境に慣れ始めた読者は、いきなり現代のロボット技術のグローバル・コンベンションの場に飛ばされる。

現代の語り手は Ry Shelley(ライ・シェリー)。外見は男性なので周囲の人はRyanを短くした名前だと思うが、そうではなくMaryを短くしたものである。ライは自分を「ハイブリッド」と表現する(生まれたときの性が女性だった)トランスジェンダーだ。

医師のライは、AI(アーティフィシャル・インテリジェンス、人工知能)分野の思想家としてカリスマ的な人気を持つヴィクター・スタイン教授の招待で来たのだが、ここで予期せずヴィクターと関係を持つことになる。だが、ヴィクターにはライには決して明かさぬ大きな秘密を持っているようだ……。

『Frankissstein』は、一言では説明できないし、説明されることを拒む類の、奔放な小説だ。

現代の登場人物は、語り手のライ・シェリー、セックスロボット制作会社CEOのロン・ロード(Lord Byron)、ロードのセックスロボットのクレア(あるいは、非常に信仰心が強い黒人女性のクレア)、有名雑誌の女性記者ポリー・D(Polidori)と1816年にジュネーブ湖畔の館にいた登場人物をひねったものだ。現在に蘇った彼らの人となりに、作者の意地悪なユーモアを感じる。

このなかで、『フランケンシュタイン』の主要登場人物である医師のヴィクター・フランケンシュタインに匹敵するヴィクター・スタインだけが架空の人物なのだが、それも作者が巧妙に編み込んだヒントのひとつである。

登場人物たちが交わす知的なやりとりや、時にはとても下品な会話には、背後の数多くの文学や歴史、そして近代のポップカルチャーなどが含まれていて、それに気づいたときには爆笑したり、ニヤニヤ笑いしたりできる。だが、それがわからないときには、笑いから取り残される。

こういったところが、まるで知識が豊富な人が集まっているパーティや文芸サロンでの会話のようなのだ。

過去と現在の登場人物らのお喋りもそうだ。メアリーがバイロン卿らのようなミソジニストと会話を交わすときのように、同等の知識とウィットがないと馬鹿にされるから常に真剣勝負だ。

自分が加わることができるときにはスリルがあるが、一瞬として気を抜くことができないから疲れる。彼らの「自分」という個体と、それに関する「肉体」の意味についての対話に真剣に耳を傾けていると、最初は良いのだが、だんだんぼんやりしてしまう。

それでも気を抜くことができないのは、多く交わされる会話の中に、ほかの時代に起こっている物語のヒントが隠されているからでもある。たとえば、バイロン卿の娘のエイダ(ラブレス伯爵夫人)は、世界で初めてのコンピュータプログラマーだと言われているが、メアリーとエイダの会話から、現在のヴィクターの会話に含まれた意図を感じることがある。また、エイダの偉業を最初に紹介したのはアラン・チューリングなのだが、彼も登場する忙しい小説だ。

チューリングについて喋った後、ライはヴィクターに「僕たちはどこに旅をするの?」と尋ねる。するとヴィクターは「それは、君がどの物語を信じるか次第だよ」、「あるいは、誰の物語を君が信じたいのかだね。あのね、いつだって、物語なんだよ」と答える。

この小説の表紙には「ラブストーリー」とある。

私は、最後のシーンが私の信じるラブストーリーだと思った読者だ。

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