#MeToo ムーブメントの火付け役が暴露した、性暴力被害者を黙らせる巨大メディアの陰謀 Catch and Kill

作者:Ronan Farrow
Hardcover: 464 pages
Publisher: Little, Brown and Company
ISBN-10: 0316486639
ISBN-13: 978-0316486637
発売日:October 15, 2019
適正年齢:PG15+(性暴力を描写する部分あり)
難易度:上級(文章そのものはシンプル。社会的な背景を知っている必要はあり)
ジャンル:ノンフィクション/ルポ

2022年4月12日に邦訳版が発売されました。私はPRでの推薦コメントで応援しています。

2017年10月は、男性が支配する業界で働いてきたアメリカ人女性にとって、歴史に残る大きな転機となった。

最初は10月5日にニューヨーク・タイムズ紙に掲載された告発記事だった。アカデミー賞受賞作や大ヒット作を数多く産み出してきたハリウッドの大物プロデューサーであるハービー・ワインスティーンが、過去30年に女優や従業員に対して「性暴力」や「セクシャルハラスメント」を行ってきたというものだ。

5日後の10月10日、ローナン・ファローがニューヨーカー誌にさらに踏み込んだ記事を載せた。ワインスティーンが13人に性暴力をふるい、3人をレイプしたという内容だ。ニューヨーク・タイムズの5日の記事には「レイプ」という表現はなかったが、ここでははっきりと「レイプ」という単語が使われていた。

2日後の10月12日、アマゾン・スタジオのトップであるロイ・プライスがセクシャルハラスメントで出勤停止になり、5日後に辞任した。被害者は『The Man in the High Castle(邦題:高い城の男)』のプロデューサーであるイサ・ハケットだが、彼女が告発したのは2年前の2015年のことだった。

10月16日、女優のアリッサ・ミラノは、10月15日に「セクシャルハラスメントや性暴力を受けたことがある人は、『私も(Me Too)』とリプライして」とツイートした。そのリプライに自然発生的にハッシュタグ #MeToo が使われるようになってトレンド入りし、またたく間に世界のソーシャルメディアで広まった。

10月18日、オリンピック金メダリストの元女子体操選手マッケイラ・マロニーが、#MeToo のハッシュタグを使って、13歳のときから元チームドクターのラリー・ナサールに性的虐待を受けていたことをソーシャルメディアで公表した。その後、約150人が同様の体験をしていることを名乗り出た。

これをきっかけに、ハリウッドだけでなく多くの業界の大物たちが次々と告発されていき、報道業界の重鎮であったマーク・ハルペリン、チャーリー・ローズ、マット・ラウアー、ロックハート・スティールなどが職を追われた。ワインスティーンも最初は自分が創業した社から解雇されただけだったが、これまで黙っていた大物女優の多くが被害者として名乗りを上げるようになった。そして、被害者のリストが80人ほどになったとき、ついにハリウッドを追放された。

この運動がアメリカの女性にもたらした恩恵は、沈黙を守ってひとりで苦しみ続けてきた女性にパワーを与えたことと、セクシャルハラスメントやレイプを見過ごして加害者のほうを守ってきた業界の支配階級の男性たちを一掃できたことだった(まだ十分残ってはいるが)。

この大きな流れのきっかけとなるニューヨーカー誌の記事を書いてピューリッツァー賞を受賞したローナン・ファローが、その経緯を『Catch and Kill: Lies, Spies and a Conspiracy to Protect Predators(捕まえて抹殺する:嘘、スパイ、そしてプレデターを守る陰謀)』という本にまとめた。

著者のローナン・ファローは、映画監督のウディ・アレンと女優のミア・ファローの実子である。(ミア・ファローの元夫だったフランク・シナトラの若い頃によく似ているためにシナトラが父親だという説もあるがローナン本人はウディ・アレンが父親だと言っている)。15歳で大学を卒業し、21歳のときにエール大学のロースクールを卒業して弁護士の資格を取り、オックスフォード大学で政治学の博士課程を終え、アフガニスタンとパキスタンで国務省の職員として勤務し、それからジャーナリストになった。まだ31歳でこれだけのキャリアを持っていることに驚愕するが、『Catch and Kill』から読み取れる作者の実像は「セレブの子ども」や「天才」のイメージとは程遠い。仕事や将来に不安を覚えて悩むふつうの青年だ。

『Catch and Kill』で最初に驚くのは、ワインスティーンの暴露は、ファローが最初から正義感にかられて追及したものではないということだ。もともとは、ファローが勤務していたNBCの人気朝番組「Today Show(トゥデイ・ショー)」で割り当てられた調査報道のひとつだったのだ。彼は、どちらかというとこのテーマを避けてきたところがある。それは、父親のウディ・アレンが、姉のディラン(養子)が7歳のときに性的虐待を受けたと訴え(告訴はされなかった)、義理の娘の立場にあるスン・イーと関係を持った挙げ句に結婚したという家庭の事情があるからだ。駆け出しのジャーナリストとしては、「父親への敵討ち」のような、個人的アジェンダが背後にあると思われたくはなかったのだろう。

ファローがワインスティーンのセクシャルハラスメントと性的暴力の深刻さを掘り出し、公式の取材に応じるように被害者を説得することに成功し始めた頃から、周辺で奇妙なことが起こり始めた。取材を割り当てた張本人のNBCの上司たちが、理由を与えずに取材にブレーキをかけ、やんわりと「このまま続けたら、仕事がなくなるよ」といったプレッシャーをかけはじめたのだ。その頃から自分が誰かに監視されていることに気づく。そして、多くの人たちが、「気をつけなさい」とささやくようになる。

それらはすべて、アメリカの有力者たちと強い繋がりを持つワインスティーンが仕掛けていたことだった。ファローを監視していたのは、イスラエル諜報機関の元諜報員が作った「Black Cube(ブラック・キューブ)」というスパイ組織で、ワインスティーンが雇ったチームだったのだ。

不気味な存在に監視されているだけでなく、これまで信頼していた人たちからの裏切りにもあう。そのひとりが、セクシャルハラスメントや性暴力を受けた女性を弁護することで知られる「人権弁護士」のリサ・ブルームだ。親身に相談に乗るふりをして被害者の情報を聞き出し、同時にワインスティーンのために働いていたのだ。また、ファローが尊敬し、この調査報道でもアドバイスを求めてきたNBCのマット・ラウアーやトム・ブロコウは、後にセクシャルハラスメントや性暴力で社内の複数の女性から告発された。

ファローにとって最初はただの仕事のひとつでしかなかったのに、大きな勢力が一体になって潰そうとしたために、身の危険を感じても執着するようになったというのは皮肉なものだ。NBCが報道してくれないし、取材の許可も与えないので、ファローはこの調査をニューヨーカー誌に持ち込んだ。それからのニューヨーカー誌の姿勢に、私は真のジャーナリズムへの尊敬を新たにした。ともかく、「ファクトチェック(事実の確認)」が徹底している。ニューヨーク・タイムズ紙が同じテーマでスクープ記事を準備していることを知っていながらも、焦ってその前に出そうとはしないのだ。ニューヨーカー誌の記事でファローが「レイプ」という表現を使ったのも、訴えられても勝てる証拠があるとニューヨーカー誌が確信したうえでのことなのだ。

「Catch and Kill(キャッチ・アンド・キル)」とは、タブロイド紙がセクシャルハラスメントなどのスキャンダルでよく使う「捕まえて、抹殺する」手法のことらしい。「ジャーナリスト」を称する者が被害者に接触し、証言を得る。だが記事にはしない。加害者である大物がタブロイド紙を通じて被害者の過去の異性関係やスキャンダルを掘り起こして大げさに報道し、人格攻撃を始める。そのうえで、社会的な制裁を受けて精神的にボロボロになっている被害者に示談金を与え、守秘義務契約(NDA)に署名させるのだ。トランプ大統領もこの手法をよく利用してきたことが書かれている。

驚くことに、社会の腐敗を暴くことを生業とするシリアスなメディアであるはずのNBCもこれをやっていたのだ。セクシャルハラスメントを訴える部門はあるのだが、その部門が被害者の悪評を流して、社の弁護士からプレッシャーをかけてNDAに署名させてスキャンダルを潰すという「キャッチ・アンド・キル」をやっていた。NBCは、被害者の女性よりも、人気司会者であるラウア―を積極的に守っていたのだ。その体質を作ったのが、NBCの政治報道部門であるNBCニュースとMSNBCの会長であるアンドリュー・ラックだったことをファローは示唆している。また、NBCの親会社はNBCUniversalで、そのオーナーは、ケーブルテレビ・情報通信・メディアエンターテイメントを扱う、巨大なコングロマリットだ。トップの地位にいる者は、ワインスティーンと個人的に繋がっている。

ファローの本は、最初から最後まで、まるでスパイ小説を読んでいるような雰囲気だった。スパイ小説の読みやすさなので、これまでこの問題に興味がなかった人たちにも読んでもらえるだろう。そうやって、問題の深刻さが広く知られていくことに価値がある。

また、この本でセクシャルハラスメントや性暴力を組織的にもみ消してきたことが明らかになったNBCは、11月に行われる民主党大統領候補のディベートをワシントン・ポスト紙と共同主催することになっている。これまでの質問者はニュース番組の有名な男性司会者が多かったのだが、ファローの本が刊行された直後に、質問役をすべて女性にするという発表があった。NBCには、セクシャルハラスメントに無関係な男性司会者がいなかったのではないかと疑いたくなるような決断だった。

また、NBCがセクシャルハラスメントで加害者のほうを守ることが明らかにになったため、NBCのデジタル部門のジャーナリストが自分たちを守るために労働組合を結成したことが10月31日のワシントン・ポスト紙に報道された。

多くの意味で、『Catch and Kill』は歴史に残る1冊になることだろう。

2019年11月2日 ニューズウィーク日本語版、初出

2 thoughts on “#MeToo ムーブメントの火付け役が暴露した、性暴力被害者を黙らせる巨大メディアの陰謀 Catch and Kill

  1. ニューズウィーク日本版の記事を拝読しいつか読みたいと思っておりましたが、ようやく完読しました。

    まさに、事実は小説より奇なり、驚愕の連続でした。ちなみに、私は企業で女性活躍やハラスメント対策にかかわっていた期間が長く、また、放送業界にも友人が数多く居るため、日本の産業界やマスコミの内情は、一般の方よりは知っているはずです。しかし、このような滅茶滅茶がアメリカの日常だった、ということは驚きを隠せません。日本のほうがまだしもモラルが高いかも。

    なお、Farrow本人も勇気ある告発者の女性も当然のことながら聖人君子ではなく、その後各種トラブルに遭遇もしているようで、そのあたりを追ってみるとさらに歴史に厚みが増すように思います。

    最後に、英文自体は、私には非常に厳しかったです。
    登場人物のあまりの多さに頭が混乱してきた、というほうが主因かも知れませんが、やはり、小説のようにはいきませんね。

    しかし、ご紹介いただいて、苦労しましたが読み通してよかったと考えています。

  2. あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

    2020年の「これ読ま」受賞作が発表されましたが、1年遅れて(笑)2019年の大賞作を2020年大晦日になんとか読み終えました。問題の深刻さに驚愕し、なんとも言えない怒りを感じています。

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