作者:Jeanine Cummins
Hardcover: 400 pages
Publisher: Flatiron Books (January 21, 2020)
Language: English
ISBN-10: 1250209765
ISBN-13: 978-1250209764
発売日:2020年1月21日
適正年齢:PG15
難易度:上級(8/10)
ジャンル:現代小説
キーワード:メキシコ、アメリカ、不法移民、国境、麻薬カルテル
メキシコのアカプルコで書店を経営するリディアは、ジャーナリストの夫や親族と愛情たっぷりの生活を送っていた。リディアは、書店を訪れた年上の紳士ハヴィエルと好きな本について語りあい、意気投合する。リディアはハヴィエルを「友人」とみなしているが、彼はリディアに恋心を抱いているようだった。
ハヴィエルがアカプルコで新たに勢力をつけている麻薬カルテルのボスであることを夫が調べて記事に書くが、リディアはまだ安全だと信じていた。だが、ハヴィエルは部下に命じてリディアの一家をすべて惨殺した。
トイレにいた8歳の息子のルカと一緒に隠れて生き延びたリディアは、ハヴィエルの勢力が届かない地、アメリカを目指して2人で逃亡した。愛する者を失うまで違法移民としてアメリカに渡ることなど考えたこともなかったリディアは、同じように国境を目指して旅する人々から手法を学んでいく。だが、旅の途中で何人かが脱落、死亡する現実も言い渡される……。
麻薬カルテルによる家族惨殺のシーンから始まるAmerican Dirtは、最初のページから読者を引き込む。次から次にリディアとルカが直面する危機は、息をつく暇がないほどだ。特に、La Bestiaと呼ばれる貨物列車の屋根に乗って移動する箇所は、読んでいるこちらの筋肉がこわばるほどだ。
発売当時から半年後もベストセラーを続けているのが納得できるページターナーなのだが、それ以上にこの小説を有名にしたのは、作者がJeanine Cumminsという名前の白人(彼女の祖母はプエルトリコ出身のラテン系だということが後にわかった)だったことだった。
白人の作者がメキシコからの不法移民の母と息子を描くのは「現在政治的に話題になっているテーマを使ってベストセラーにしようとした日和見的な動機だ」、あるいは「ステレオタイプだ」という批判が、作品が発売される前から高まっていた。
私自身もその影響で最初は読むのをためらったほどだった。
だが、自分自身で読んでから判断しようと思って読んでみた。読んでからも、しばらくはどう書くべきか悩んでいたほど、現在アメリカの難しい社会問題が絡んでいるフィクションだ。
論争の中心にあるのが、最近アメリカでよく話題になる「文化の盗用(Cultural Appropriation)」だ。これは、他者の文化をあたかも自分のものかのように扱うことを意味する。
日本文化に関連した有名な例はキム・カーダシアンが発表した補正下着のKIMONOブランドかもしれない。私の友人や知人を含む多くの日本人が「それは着物ではない」と抗議してネットでも炎上し、カーダシアンはブランド名を取り下げた。だが、これはまったく着物とは似ても似つかないものだから「文化の盗用」というより無知をさらけ出した恥ずかしい例と言えるかもしれない。それ以外には、AMAでのケイティ・ペリーのパフォーマンスも炎上した。
面白いと思ったのは、私と娘の反応の違いだった。ケイティ・ペリーのパフォーマンスについて、日本で生まれ育った私は「20世紀の半ばならともかく、今でも日本と中国とごっちゃにしてるデザイナーってまずいんじゃない?」と苦笑した程度だったのに、半分日本人で日本では育っていない娘のほうは「文化の盗用だ」と憤慨していた。
最近でも、プロムでチャイニーズドレスを着た白人女子高生がSNSで「文化の盗用」だと叩かれた事件があった。
私は(娘を含めて)これらの怒る人々には同感しない。そういうことでいちいち怒っていたら、アジアの国々で現在行われている結婚式でウエディングドレスを着ることはできなくなる。キリスト教徒でもないのにクリスマスを祝っている人々は皆泥棒になってしまう。
「文化の盗用」が問題になるのは、盗まれた人々と盗んだ人々との間に、たとえば搾取や大虐殺などの暗い歴史的な関係があった場合だろう。あるいは、現在の社会において盗まれた人々を傷つけるものだ。または、よくわかってもいないのに、その文化の代表者のように語ることも「文化の盗用」とみなされる。
他者の文化を使った人たちが、その文化を持つ人々を見下げ、悪いステレオタイプを広めるとしたら、それは許してはならない「文化の盗用」ということになるだろう。その他の場合は、他者の文化が好きでやっていることなのだから、喜ぶべきことではないだろうか。
小説に関しても、私は同じように考えている。本人あるいは先祖がその文化を持つ人しかフィクションを書いてはいけないとなると、有名な古典の数々もアウトになってしまう。現在でも、第二次世界大戦中のポーランドやフランスを舞台にした小説を書くアメリカ人作家は多く、世界的なベストセラーにもなっている。ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロだって生まれた国とは異なる文化について書いている。それらに対して「文化の盗用」だと問題になっているのを見たことがない。
では、このAmerican Dirtはどうだろう?
誰が書いたのか知らずに読んだら、きっとメキシコ系アメリカ人だと思うことだろう。それくらい、主要人物にすんなりと感情移入できる。トランプ政権が行った親子引き離し政策に憤りを覚え、犠牲になりがちな女性や不法移民を救いたくなる本だ。この小説に対して「文化の盗用だ」と怒っている人は、たぶん「(当事者でもないのに)その文化の代表者のように語っている」と感じた人たちなのだろう。また、「せっかく本物のラテン系の作家がいるのに、なぜわざわざ白人作家の本を売るのか?」と抗議する人もいる。ハリウッドの映画界がマイノリティの登場人物を白人の俳優に演じさせるために、マイノリティの俳優がなかなか職を得ることができなかったことにも関連した意見だ。
それでも私はこの小説を「文化の盗用だ」と怒る人々に賛成できない。
American Dirtは、これまで不法移民に対して無関心だったアメリカ人が、社会問題として捉えてくれるきっかけになるようなフィクションである。次に、この小説が爆発的に売れたことで、出版社は不法移民をテーマにした小説を積極的に出版しようとするだろう。このテーマに無関心だった読者が目覚めて、「同じような本をもっと読みたい」と思うからだ。そうすれば、文化を本当に知る中南米出身の作家がもっと多くデビューできるだろう。
怒るよりも、私はその未来を応援したい。