作者:Isabel Wilkerson
Hardcover : 496 pages
ISBN-10 : 0593230256
ISBN-13 : 978-0593230251
Publisher : Random House
発売日:August 4, 2020
適正年齢:PG 12(中学生には難しい内容だが、読みたい者なら何歳でもOK)
難易度:上級、8/10(読みやすい文章だが、理解するためにはテーマに関わる知識が必要)
ジャンル:ノンフィクション
キーワード:アフリカ系アメリカ人、奴隷制度、アメリカの歴史、人種差別、レイシズム、カースト制度
私はドナルド・トランプが共和党の予備選に出馬した2015年から接戦区のニューハンプシャー州などで大統領選を取材し、「トランプに熱狂する白人労働階級『ヒルビリー』の真実」といった記事で報告してきた。そして、2016年の大統領選挙で起こったことを『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)という本にまとめた。
得票数ではヒラリー・クリントンの65,853,625票 (48.0%)に対してトランプ62,985,106 票(45.9%)とクリントンのほうが多かったのにも関わらず、選挙人制度によってトランプはクリントンに圧勝した。
クリントンが敗北した理由を多くの専門家が分析してきたが、特にリベラルの側から聞こえてくるのが、「白人労働者への配慮が足りなかった」、「(人種、ジェンダー、性的指向といった)アイデンティティ・ポリティクスをしすぎた」というものだ。メディアによってそのナラティブが広まったせいか、アメリカに住んでいない日本人から「食べる余裕もないアメリカの貧困層にとって、民主党候補が重視するLGBTQ、人種差別、女性の人権などの問題は、はっきり言ってどうでもいい。経済格差が分断の原因だと認めないかぎりは、分断はなくならない」とソーシャルメディアでマンスプレイニングされたこともある。
そういったメディアのナラティブに対して、レベッカ・ソルニットは『それを、真の名で呼ぶならば』の「ミソジニーの標石」で反論している。アメリカでは男女どちらにも本人が自覚していないミソジニーがあり、それが、リベラルを自称する男性も抱えている「ヒラリーには我慢ならない」という感情につながっている。それを認めるかわりに、彼らは別のもっともらしい理由を探してきたというものだ。
私は1995年にアメリカに移住し、2003年から民主党と共和党どちらもの大統領選の集会に参加して観察し、いろいろな立場の有権者から話を聞いてきた。だからこそ、「アメリカの白人労働者階級に食べる余裕ができたら、LGBTQ、人種差別、女性の人権などの問題を配慮することができる」という意見に同意することはできない。というのも、ウォール街の金融関係者や、企業の重役など、収入がアメリカのトップ1%以上に属する特権階級の白人には隠れトランプ支持者がかなりいるからだ。トランプの集会に行ったり、テレビの取材に応えたり、目につく場所でトランプを支持している多くは「白人労働者階級」かもしれない。だが、政治献金をして陰でトランプを支えているのは「裕福な白人」なのだ。
大統領に就任してからのトランプは、数え切れないほど多くの嘘をつき、スキャンダルを起こし、政府機関の専門家を侮辱し、下院で弾劾され、パンデミックの指揮に失敗して大量の死者を出し続け、憲法で保証されている市民の抗議活動を武装した政府職員に鎮圧させて状況を悪化させている。共和党が敵視してきたロシアや北朝鮮の独裁者に媚びを売り、捕虜になったり死んだりした兵士は「loser(負け犬)」で「sucker(騙されやすいばか)」だと言っていたことも明るみに出た。
これまでの大統領であれば、このうちたったひとつのスキャンダルで失脚しただろう。だが、トランプの支持率は以前とほとんど変わらない。これまでの大統領の支持率は、たとえばジョージ・W・ブッシュ元大統領のように80%台から40%台に上がったり下がったりするのが普通だった。けれども、トランプの場合は就任以来ずっと40%前後で、どんなスキャンダルがあっても低いままで安定している。
リチャード・ニクソンやビル・クリントンを含め、倫理的なスキャンダルを起こした大統領はこれまでにもいた。だが、これほど徹底して倫理観に欠ける大統領は、近年の歴史ではトランプ以外には考えもつかない。それなのに、婚前交渉を禁じて性教育も許さないほど厳格な「ファミリーバリュー」を売り物にしているキリスト教保守派の指導者たちは、いまだにトランプを強く支持している。部外者にとっては、不思議でならない現象だ。
この現象を分析する記事や本をいくつか読んだが、その中でもっとも納得できたのが、イザベル・ウィルカーソンの『Caste: The Origins of Our Discontents』だった。
アメリカではブラックライブスマター(BLM)の抗議運動が広まっており、人種差別主義(レイシズム)と反人種差別主義(アンチレイシズム)に関する本がベストセラーリストのトップに連なっている。ウィルカーソンも、アメリカの奴隷の歴史と人種差別について書いているが、肌の色の違いによる差別を連想しがちなレイシズムという言葉で説明するのではなく、Caste(カースト制度)というキーワードを使って分析している。
「カースト」言葉の由来は人種、系列、部族などを意味するcastaというポルトガル語だということだが、現在では「カースト」という言葉を聞いて人々が真っ先に思い浮かべるのはインドのヒンドゥー教の身分制度だろう。インドのカースト制度にはヴァルナと呼ばれる4つの身分があるが、それに属さない最下層が不可触民(ダリット)である。マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が1959年にインドを訪問したとき、彼はダリットとアメリカの黒人には共通点が多いことを学んだ。親がダリットだった生徒たちにキングを紹介するとき、校長は「アメリカから訪問された私たちの同胞である不可触民」と表現した。キングは後にそのときのことを「一瞬、自分が不可触民と呼ばれてショックを受け、むっとした」と語った。「不可触民(アンタッチャブル)」という表現は、それほど人間の尊厳を奪い去るものなのだ。でも、アメリカの黒人も同様に、「人間であって、人間ではない」という人工的な身分制度の最下層に抑え込まれてきたのだ。そして、そこから抜け出そうとするたびに、上の層の白人から暴力を受けたり、命を奪われたり、平等な機会を奪われたりしてきた。
キリスト教の教えにからめて「黒人は人間ではない」と決めることで、アメリカのカースト制度の上層に属する奴隷所有者の白人は黒人をどれだけ酷使し、虐待し、残虐に殺しても、「良きキリスト教徒」の「ファミリーマン」として罪悪感を覚えずにすんだ。また、カースト制度で下部に属している貧しい白人は、「自分は生まれつき白人というだけで黒人よりは優れた存在だ」と安心し、自分にプライドを持つことができた。
アメリカでの黒人への差別は、ただの偏見による差別ではない。政策や社会の慣習といったものを使ってカーストの下層の者をそこから出させないようにする「構造的差別」なのだ。
カースト制度は支配層にとって非常に都合が良いので、インドやアメリカ以外にも世界中に似たようなシステムがある。日本で江戸時代に確立された「士農工商」と「穢多、非人」という身分制度もそうだ。最も得をするのは最上層だから下層の者が不満を抱えて覆しそうなものだが、人は、自分より下の者がいることに安堵し、上の者から少しでも特別扱いされると、上の者と一緒になって自分と同等の者や下の者を貶めるものらしい。ウィルカーソンは、ナチスドイツでユダヤ人迫害に手を貸したユダヤ人や、黒人に対して暴力を振るう黒人警官などを例に挙げて人間のやるせない心理を説明する。
建国時代のアメリカは、イギリス系白人男性中心の社会だった。その後、ヨーロッパの異なる国々から移民が押し寄せるようになり、そのたびに新参グループは差別された。イタリア系やアイルランド系の移民への強い差別があった時代もある。だが、最上層から差別される彼らも「白人」というだけで、最下層の黒人とは異なる待遇を受けることができた。彼らは喜んでその地位を受け入れ、最下層を「非人間」として扱う強力なパワーに加わったのだ。アパルトヘイト政策化の南アフリカで「名誉白人」として扱われた日本人にも共通する心理だろう。
問題は、科学的な根拠がない人間の優劣や人工的な身分制度であっても、与えられた者がそれを信じるようになってしまうことだ。最上層と最下層のどちらもそうだ。
アメリカは元々白人男性に有利な社会なので、特に裕福な家庭で育った白人は、本人に特別な能力がなくても最高の教育を受けて良い仕事に就くことができる。家でも、学校でも、職場でも、店でも、最高の扱いを受ける。だから、すべての言動に自信が溢れており、交渉相手を説得しやすく、成功もしやすい。生まれたときから下駄を履かせてもらっている結果なのに、彼らはすべて自分の才能と努力による達成だと信じている。ゆえに、貧困者と犯罪が多い都市部で育った黒人に対して「奴隷制度はずっと昔に終わった。いつまでも他人のせいにせず、もっと努力するべきだ」といった批判をするのだ。
差別を受けている側の黒人は、政策のために教育制度が良くない地域に閉じ込められ、子どもの頃から教師に「頭が悪い」、「暴力的だ」と決めつけられ、少しでも抵抗すると白人からリンチにあったり、警察官から疑いをかけられて殺されたりする。それほどの不安とストレスを抱えて生きている彼らが、すべてで優遇されている白人と同じ希望や自信を育てることは不可能だ。下流に向かって泳ぐ者と、上流に溯る者が競泳したタイムを比べて公平に評価しようとするようなものだ。
アメリカの奴隷が受けてきた残酷な扱いと、奴隷制度が終わっても続いてきた恐ろしい差別の内容。それが現在にも根深い人種差別として残っていることは、ここでは書ききれない。けれども、それを知ると知らないでは、現在のブラックライブスマターの抗議運動を理解することは不可能なので、この本に関わらず、多くの本でぜひ読んでほしい。
とはいえ、本書『Caste』の重要な部分はそこではない。カースト制度の最上層にいる者は、制度を守るためなら何でもやるというというところだ。ヨーロッパの貴族や、アパルトヘイト時代の南アフリカの白人がそうだったように、現在のアメリカの白人はカースト制度が壊れるのを恐れている。その恐れが、現在のアメリカの社会不安定につながっているのだ。
アメリカにおける白人の人口は、第二次世界大戦直後の1950年代には9割近くを占めていたが、2019年には6割まで減っており、2044年ごろには過半数を切ると考えられている。「白人である」というだけで、これまで許されてきたことが許されないかもしれない世界がやってくる。それは、多くの白人にとって、不安で、恐ろしいことなのだ。
カーストの最上層の特権を謳歌してきた白人には、民主党が主張するポリティカル・コレクトネスは彼らの特権を奪うためのスローガンに聞こえる。近年の大統領選挙で白人票の過半数を獲得した民主党候補がいないのは、そういった理由もあってのことだ。最近で最も多く白人票を獲得したのは1992年のビル・クリントンで、49%だった。2000年のアル・ゴアは43%、2004年のジョン・F・ケリーは41%、バラク・オバマは2008年に43%獲得したものの、2012年には39%と激減した。
黒人の大統領が生まれたことで「アメリカには人種差別はもうない」と主張する者がいたが、ウィルカーソンも書いているように、多くの白人にとっては「自分の生まれつきの身分を忘れたuppity(思い上がった、身の程知らずの)黒人」に対する嫌悪感をいだく、許せない出来事だった。「黒人が思い上がったことをしたら、自分の身分を思いださせるようにお仕置きしなければならない」という奴隷時代からの考え方を引き継いでいる白人たちは、これまで以上に黒人に対して頑なな態度を持つようになった。オバマ大統領が生まれたために、そのバックラッシュとして黒人に対する暴力事件がかえって増えていった。
2016年の大統領選で堂々と白人の優越感を鼓舞したトランプが白人票の58%を獲得し、クリントンが37%しか得られなかった最大の理由は、アメリカに存在するカースト制度なのだ。
トランプがどんなにスキャンダルを起こしても支持者が見捨てないのは、カースト制度の最上層の地位を失いたくない白人にとって、トランプが「最後の砦」だからだ。彼ほど厚顔無恥に白人の地位を守ってくれる大統領はこれまでいなかったし、これから先にもいないだろう。それがわかっているから、何があっても彼らはトランプを選び続けるのである。
白人男性である夫も同時に読んでいたのだが、彼もウィルカーソンの視点には納得していた。
非常に素晴らしい内容だからこそ、2020年の大統領選とその後のアメリカの社会状況に大きな不安を覚える本でもある。
この洋書ファンクラブは、本を紹介するーにとどまらず、世界を見せてくれる素晴らしい場所。今回のカーストに関しても勉強になりました。大きく頷き、見えないものが見えてきました。ありがとうございます。
安部首相にも、また、自民党にも似たようなところがあるように思います。