作者:Adam Grant
Publisher : Viking
発売日:February 2, 2021
Hardcover : 320 pages
ISBN-10 : 1984878107
ISBN-13 : 978-1984878106
適正年齢:大人向けだがどの年齢でもOK
難易度:7(文章は6レベルでシンプルだが、難しい単語があるのでネイティブの普通レベル)
ジャンル:ノンフィクション/自己啓発/応用心理
テーマ:信念、再考、ダニングクルーガー効果、armchair quarterback syndrome, imposter syndrome, productive conversation, influential listening, motivational interviewing,
アメリカの東海岸北部の地域「ニューイングランド」は冬が長くて春がなかなか来ない。けれども先週末は20℃を超える夏のような気温になるという予報が出たので、夫と一緒にニューハンプシャー州のホワイトマウンテンにRV車で行って私有地でキャンプをした。
その土地のオーナーの説明に従い、キャンプサイトから国立公園のトレイルに向かって夫と2人で歩き始めた。子供時代にイーグルスカウトでキャンプやハイキングの経験を積んだ夫がさっさと先頭に立って歩いていく。方向音痴の私は彼を信じてついていったのだが、トレイルにしては枯れ葉が厚く重なりすぎているし、倒れた木も多すぎる。しだいに歩くのが困難になってきて「これはトレイルじゃないと思う」と夫に言ってみたのだが、「ニックはまっすぐに行って公園のトレイルにぶつかったら左に折れる、と言った。こっちの方向だ」と言ってどんどん進んでいく。そして、「あの道がきっとそれだ」と左の方向を指した。
夫が指差したのは一見道に見えるが私の膝丈ほどの枯れ草がなぎ倒されているだけだ。「あれは雨水が川に流れていく水路だと思うよ。トレイルなら草は踏み潰されて生えない」と答え、「今まで来た道はトレイルではないと思うので引き返そう」と提案した。私は方向音痴だが、森のジョギング歴は長い。その間に獣道とトレイルを間違えたこともあるし、迷ったこともある。それは夫にはない体験だ。今歩いているところがトレイルではないと思う理由を説明したら、彼も納得して引き返してくれることになった。背が高い夫が目の前にいると風景を見ることができないので、今度は私が先頭に立って来た道を戻った。すると、夫が見逃していたトレイルが見つかった。新たに見つけたトレイルを歩きながら、私は「これって、Adam GrantのThink Againに出てきそうなエピソードだね」と夫に語った。

Adam Grantはペンシルバニア大学ウォートンスクールで組織心理学(organizational psychology)を教えている心理学者で、大物のビジネスマンが信頼するベストセラー作家だ。GrantのThink Againは、これまで強く信じていたことでも柔軟に「考え直すこと」の貴重さを説いた本だ。
この本の最初のあたりに出てくるのが、ほんのちょっとだけ知識を得た人が自分の能力を過大評価するダニングクルーガー効果だ。アメフトをやったことがないのに、プロのクォーターバックや監督のプレイをわかったように批判するスポーツファンがよくいるが、それは「armchair quarterback syndrome」と呼ばれる。アメフトのことをまったく知らない人なら絶対にしないことだが、ちょっと知っていると自分の知識を過大評価するようになるのだ。私が「これはトレイルではないと思う」と最初に言ったとき、夫は「木にマーキングがある。これはトレイルの証拠だ」と言って譲らなかった。実はこれは別のマーキングだったのだが、少し知識があるがゆえに、地面の様相がまったくトレイルらしくないという別のエビデンスを彼の脳は無視することにしてしまったわけだ。「これはトレイルではない」と思っているのに強く言えずについていった私は、Grantが対で紹介しているimposter syndromeのほうだ。経験があっても自分が偽物のような気がして強く押せないのである。
私たちが自分ではない人と対話や討論をするとき、preacher(伝道師/説教師), prosecutor(検事), politician(政治家)という3つの専門職のマインドセットになりがちだとGrantは言う。自分の信念が脅かされたときには人は説教師になって他人を説得しようとする。また、他人が間違ったことを言っていると思ったらそれを批判し、追及する検事になる。そして、皆から認められたいときには政治家になる。ソーシャルメディアを見ていると、Grantの書いていることがよくわかる。新たなことを学び、自分の考え方を変えていくためには、それらの3つの職業ではなく、科学者のように考えるべきだというのがGrantの提案だ。
この本の中で得に興味深かったのがVaccine Whisperersだ。ワクチン反対派のお母さんに説教して説得しようとするのではなく、彼女たちに質問をして耳を傾けるという方法で母親が子供のワクチン接種を自主的に選ぶようになるというものだ。やりこめて考え方を変えさせるのではなく、相手が科学者のように考えることを促し、自分で結論を導いてもらうのだ。そういうinfluential listeningやmotivational interviewingは、身につけてみたいテクニックだ。
選挙のたびによく見かけるのが、何十年も信念を変えない政治家を評価し、「あの候補は20年前に同性結婚に反対したのに、今ごろ賛成している。信用ならない!」と非難する人たちだ。けれども、私は新しい情報やエビデンスに基づいて考え方や政策を変えていく政治家のほうが信頼できると思っている。世界はどんどん変わっているのだ。過去の自分の信念が間違っていたことを認めて成長する人のほうが評価されるべきではないだろうか?
ホワイトマウンテンで私達が危険な状態に陥らずに引き返すことができたのは、夫が自分の信念を柔軟に変えるthink againができる人だったからである。それは、私たちが毎日いろんなトピックで討論を交わして「異なる意見を聞き、その情報に基づいて自分の意見を柔軟に変える」練習をしているからでもある。トレイルについて夫は「君のほうが正しかった」と即座に認めてくれたが、お互いに「あれは私が間違っていた。あなたが正しい意見を言ってくれて助かった」と言い合っていると、間違いを認めるのはそんなに難しくはなくなる。
考えを柔軟に変えていける人と、それを評価する人が社会で増えていったら、もっと人々は自分の間違いを認めやすくなるだろう。そういう意味で、多くの人に読んでもらいたい本である。