作者:Matthew Parker
Publisher : Pegasus Books
刊行日:March 11, 2015
ペーパーバック:325ページ
ISBN-10 : 9781605986869
ISBN-13 : 978-1605986869
対象年齢:一般(PG15)
読みやすさレベル:7
ジャンル:伝記
キーワード、テーマ:007、ジェームズ・ボンド、イアン・フレミング、ジャマイカ、Goldeneye
アイランド・レコード創始者クリス・ブラックウェルの回想録『The Islander』がきっかけでジャマイカに行ったことをレビューやYouTube「旅と本 ジャマイカ篇①」で語ったが、今回はその続きで、イアン・フレミングとジャマイカ、そして007について語ろうと思う。
クリス・ブラックウェルのThe Islanderを読むまで、私はブラックウェルとイアン・フレミングの繋がりを全く知らなかった。この本にはブラックウェルの母親のブランチがフレミングと長年の知り合いであり、ジェームズ・ボンドが初めて映画化された『Dr. No』の撮影で、当時はまだ若造だったブラックウェルがジャマイカでのコーディネーター役で走り回ったことも書いてある。
これも本を読んで知ったことだが、英国人のフレミングが007を生みだし、その後すべてのジェームズ・ボンド小説を書いた場所は、ジャマイカにある彼の別荘「GoldenEye」だった。そして、それを購入してリゾートホテルのGoldenEyeに変えたのがクリス・ブラックウェルだった。
リゾートのGoldeneyeを海から眺めたところ。これはほんの一部であり、かなりの範囲に広まっているために、部屋がほぼ満室なのに、まったく混んでいる感じがしない。

このあたりの繋がりに興味があったので、『GoldenEye – Where Bond Was Born: Ian Fleming’s Jamaica』という伝記を読んでからGoldenEyeを訪問し、そこに滞在している間に007ノベルを何冊か読んでみた。
イアン・フレミングの祖父は銀行創設とアメリカの鉄道投資により1代で富を築いた。その息子であるフレミングの父は政治家になり、貴族ではないものの裕福な上流階級に属していた。1908年に4人兄弟の次男として生まれたフレミングは、すべてにおいて優秀な兄のピーターとは異なり、学業でも仕事でも大きな達成をすることはなかった。投資銀行家になったものの「世界最悪の株式仲買人」と言われるほど不向きだったフレミングを救ったのが第二次世界大戦だった。英海軍情報部ディレクターのジョン・ゴドフリー提督のパーソナルアシスタントになった彼は、デスク仕事とはいえエキサイティングなこの仕事を心から楽しんだようだ。この時に得た知識と体験が後にジェームズ・ボンド小説として活かされている。また、フレミングが計画したスペインの枢軸国加盟をサボタージュする「ゴールデンアイ作戦 (Operation GoldenEye)」は結果的にお箱入りになったが、彼はこれをかなり誇りにしていたのだろう。ジャマイカで作った別荘にGoldenEyeと名付けた。

情報部での仕事以外にフレミングが際立つ才能を発揮していたのが「seduction(女性の誘惑)」の能力だった。既婚未婚、年下年上、ありとあらゆる女性と関係を持ってしまうフレミングは独身主義者だったが、後に妻になったアンとの情事は特別だった。
27歳のフレミングが5歳年下のアンと出会ったのは1935年で、フランスのリゾート地ル・トゥケ(ボンドの最初の小説『Casino Royale』の舞台のモデルになった場所と言われるle Touquet)だった。当時アンはすでに貴族のオニール卿と結婚していた。アンの夫がゴルフ仲間のフレミングを家に招待し、オニール卿が戦地に赴いて不在の間にアンとフレミングは接近した。1944年にオニール卿が死去し、アンはフレミングからの求婚を期待したのだがそれがなかったために、求婚してくれた別の不倫相手のロザミア子爵と結婚した。それでもアンとフレミングはおおっぴらに情事を続け、アンはフレミングの娘を妊娠し、生まれた子供が死ぬ悲劇も体験した。アンの夫である子爵はそれすら許したようだが、それでもフレミングとの関係を続ける妻に辟易してついに離婚した。それに責任を感じたフレミングがついにアンと1952年に結婚したのだが、結婚した瞬間から後悔していたらしい。
そこまでしてアンと結婚したのだが、フレミングはもともと一人の女性だけを愛するようなタイプではなかったので、ジャマイカで出会ったクリス・ブラックウェルの母のブランチとすぐに仲良くなった。以前にも書いたが、ブランチの家族は非常に裕福であり、飾り気がなくて笑い声が魅力のブランチはクリス・ブラックウェルの父との離婚後には多くの男性から言い寄られたようである。その中には有名な俳優のエロール・フリンもいて、フリンとフレミングはクリス・ブラックウェルの本では友人として書かれているが、『Goldeneye』によると恋敵で仲は良くなかったようだ。ブランチはフレミングが「家庭的なタイプではない」ことをよく理解していて、コントロールなしの関係に苦情を言うこともなかったようだ。そんなブランチにフレミングはアンとの結婚でアンハッピーだと告白したりしていたが、それでも離婚することはなかった。そして、ブランチはフレミングが亡くなるまで、「イアンのジャマイカ妻」とアンが皮肉に呼ぶような関係を15年続けた。

こういう背景を知ってからジェームズ・ボンドの小説を読み直すと、ボンドがフレミングの「オルターエゴ(alterego)」だと想像できるようになる。ボンドの設定は荒唐無稽だが、リアルのフレミングもかなり荒唐無稽だったようである。
旅行前に小説GoldenEyeで読むためにジェームズ・ボンドのペーパーバックを購入しようとしたところ、なぜかアメリカでは購入できない(大幅に内容を修正しているのか、2023年に出る新刊のキンドル版を予約するしかない)。英国や日本から取り寄せる手もあったが時間がないので「Goldeneye行ってから買えばよい」と思い直した。ところが、リゾートに来てみると、フレミングがボンドを書いた場所なのに本を売っていない。受付の方が「リゾート所持の本をお貸しします」と言ってくれて、日本が舞台の『You Only Live Twice』、ジャマイカが舞台になっている『Live or Let Die』、ジョン・F・ケネディが好きだった『From Russia with Love』を希望したら、後でコテージに届けてくれた。
私が007の小説を読んだのはかなり昔のことなので、やや最近読み直したFrom Russia with Love以外はほとんど内容を忘れていた。
読み始めて気づいたのは、21世紀の現在なら絶対に出版が許されないと思うような差別的な表現(Nワードとか)が多いことだ。白人以外の登場人物は悪人か使用人ばかりであり、女性は秘書が最高のポジションであり、残りはすぐにボンドとベッドインする美女か娼婦である。英国の上流階級に属する白人男性と同等の人格を持つ者はいない。「こんな作品だったっけ?」とびっくりしたのだが、それ自体が、時代の変化と、それにともなう読者としての自分の変化を自覚する貴重な体験だった。
今の若者が21世紀の視点でジェームズ・ボンドの小説を読むと、おおっぴらな「植民地主義」と「ミソジニー」に憤り、「こんな本はボイコットするべきだ」と思うかもしれない。でも、私はジェームズ・ボンドのオリジナルをそのまま保存して、歴史的な背景を交えて読むといいと思うのだ。そうすれば、当時の感覚を実感できる歴史書としてとても興味深く読める。
フレミングが最初のジェームズ・ボンド小説『Casino Royale』をGoldeneyeで書いたのは冷戦時代の1952年である。第一次世界大戦と第二次世界大戦を経て英国の貴族階級は凋落し、植民地は次々に独立し、ソビエト連邦だけでなく、アメリカと中国が大国としての勢力範囲を広げ、かつて世界を征服していた大英帝国(少なくとも英国人にとっては)の勢力は急速に失われつつあった。フレミングはアンとの結婚を控えていた時期であり、束縛から逃げたい心理も少なからずあっただろう。ジェームズ・ボンドは、過去の栄光へのノスタルジアにどっぷりとひたらせてくれる存在だったのだろう。
アンは夫婦の大きな収入源になっていったジェームズ・ボンド小説のことを褒めたことはなく、貴族階級の女友達と一緒になって「イアンのポルノ小説」とあざ笑っていたらしい。フレミングのほうは、映画化もされて有名になった自分のクリエーションへの誇りと同時に、自分の生き方への疑いや不満、創作のプレッシャーで自滅的になっていったようだ。起床した時から寝るまでアルコール漬けになった彼が残したノートには「(私はこれまでずっと片足をゆりかごに残したままで、別の足で急いで墓に向かいたがるところがあり、そのために居心地の悪さを感じてきた)I’ve always had one foot not wanting to leave the cradle, and the other in a hurry to get to the grave, which has made for an uncomfortable existence.」という記載があった。
日本が舞台の『You Only Live Twice』は1967 年にショーン・コネリー主演で映画化されているのだが、当時の日本は海外ではまだエキゾチックな存在だった。だから現在の日本人がこの映画を初めて観たら「えっ、これが日本のつもり?」と苦笑する場面がかなりあるだろう。小説のほうでは、フレミングが日本を訪問して取材したことが想像できる詳細は多いのだが、ボンドの視点は完璧に植民地主義的である。これが、日本や日本人に対する当時のイギリスの白人の視点だったのだ。そのあたりが私は非常に興味深かった。
『You Only Live Twice』はフレミングが亡くなる数ヶ月前に出版されたのだが、1年前にこの小説を書いている時のフレミングがストレスとアルコール依存症で心身を壊していったように、小説の中のボンドもかなりアルコール漬けで自滅的だ。続きの『The Man with the Golden Gun』は、フレミングの急死によって最後の作品になったのだが、この出来があまりにも悪くて出版社はそのまま出せなかったという逸話もある。
医師から酒とタバコをやめるように言われたフレミングだがそれには応じず、体調を崩したまま1964年8月に心臓発作を起こして56歳の若さで急死した。息子のキャスパーは21歳で成人した時に、ジャマイカの別荘Goldeneyeを含む父の遺産を受け取ったが、鬱と薬物依存症になっていたキャスパーはジャマイカのGoldeneyeを訪問中に自殺未遂をし、その時には救助されたものの、また自殺を試みて亡くなった。
ジャマイカが1962年に独立してから二度と訪問しなかったアンは、夫と息子が死去した後にGoldeneyeの売却を望んだ。フレミングがいない間ずっとGoldeneyeの面倒をみてきたブランチがこの海でそれまでどおりに泳ぎ続けることを願ったクリス・ブラックウェルは、(当時金繰りに困っていたので)ボブ・マーリーに買わせようとした。マーリーはいったん購入を引き受けて、ブランチが泳ぎ続けることも約束したのだが、Goldeneyeを訪問して気を変えた。「自分にはposh(高級)すぎる」という理由だった。だが、その時には金繰りが良くなっていたクリス・ブラックウェルがGoldeneyeを購入することができた。
ブラックウェルは、しばらくのうちは友人を招待する場所として別荘を使っているだけで、ここには有名なミュージシャンや俳優、政治家などが訪れた。StingはEvery Breath You TakeをGoldeneye滞在中に作り、BonoとThe Edgeは映画『Goldeneye』のテーマソング(歌ったのはティナ・ターナー)を作った。ここにもブラックウェルとフレミングの興味深い繋がりが続いている。
ブラックウェルがGoldeneyeをリゾートにしたのは、彼がアイランド・レコードを売却してまとまった資金を得た1989年のことだ。
フレミングが執筆をしたGoldeneyeは、他の客がアクセスできないプライベートなFleming Villaになっている。(一般公開はしていないが、某コネクションを通じて訪問させてもらった)。
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007映画の共通のテーマソングも素晴らしいが、それぞれの映画でのテーマソングも傑作が多い。ジャマイカから戻ってから、しばらくあれこれ聞き続けてしまった。
あるオンラインイベントで「小説の映画化では原作のほうが良い場合がよくあるけれども、渡辺さんの体験で『映画のほうがよかった』という作品はありますか?」と質問されたことがある。その時にはすぐに答えることができなかったのだが、ジェームズ・ボンド小説を読んでいるときに「これだ!」と思った。
ジェームズ・ボンドは小説のままであったら、現在まで生き残ることはできなかったと思う。けれども、映画でのボンドは時代の変化にあわせて進化している。最近の映画でMが女性になっているなんて、フレミングは想像もしなかったことだろう。若い世代に歓迎されるように変わる自由があるからこそ、映画での007は不滅になることができると思った。