怖いおとぎ話のような現代の英国王室から逃れたハリー王子の伝承的回想録 Spare

作者:Prince Harry The Duke of Sussex
Publisher ‏ : ‎ Random House
刊行日:January 10, 2023
Hardcover ‏ : ‎ 416 pages
ISBN-10 ‏ : ‎ 0593593804
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-0593593806
対象年齢:一般(PG15)
読みやすさレベル:7
ジャンル:回想録、自伝
テーマ、キーワード:英国王室、The heir and the spare(世継ぎと予備)、タブロイド、ハリー王子、メーガン妃、ウィリアム王子、ケイト妃、カミラ・パーカー・ボウルズ

私は英国王室ウォッチャーではないし、ふだんタブロイド紙を含むゴシップメディアには注意を払っていない。オプラ・ウィンフリーがハリー王子とメーガン妃から話を聴いた有名なインタビューも、宣伝用の短いビデオを目にしただけだ。王室側とハリー王子側どちらのファンでもないということを最初に明記しておきたい。世界が注目しているハリー王子の回想録を、なるべく公平な視点で読むことを心がけた。

この回想録は、ハリーとウィリアムの祖父であったフィリップ殿下の葬儀の後のシーンで始まる。ハリーは父のチャールズと兄のウィリアムと内密に会うのだが、そこでウィリアムから「なぜ(王室と家族を)離れたのか?」と糾弾され「本当に知らない(理解していない)のか?」と絶望的になる。その後に続くパート1は、母であるダイアナ妃を失った子供時代、パート2は英国陸軍に従軍した時代が中心になっている。メーガン・マークルとの出会いから現在に至る状況はパート3なので、そこだけを読みたい人はいると思うが、ハリーの心理を理解するためには1と2を読む必要があるだろう。「死んだことになっている母が実は隠れていて、いつかまた再会できる」と自分に言い聞かせることで悲劇を乗り越えようとする少年は、英国陸軍に従軍してアフガニスタンで極秘の危険な任務を遂行する体験でようやく成長を始める。

タイトルになっている「Spare」は、英国の貴族階級の間でよく使われてきた「the heir and the spare(世継ぎと予備)」という慣用表現から来ている。英国の貴族階級ではタイトル(称号とそれに伴う身分)を次世代に引き継ぐことが非常に重視されており、貴族と結婚した女性の最も重要な役割は世継ぎと、世継ぎに何かが起こった時のための予備(スペア)を産むこととみなされている。ウィリアムとハリーは生まれた時からthe heir and the spareであり、周囲の期待や育てられ方もそれに応じて異なった。彼らは兄弟でありながらも、一般家庭での兄弟とは異なるダイナミクスがあり、それが2人の間に溝を作ったことが見えてくる。

将来に国王になる立場のウィリアムは、「他人から批判される余地がない正しい行動を取り、ゴシップの対象になっても対応せず、感情は見せない」という英国王室独自のストイックさを教え込まれ、従順にそれを身に着けてきたかのように見える。だが、そういった教育をされなかったハリーは、学校で問題行動を起こしてタブロイド紙の餌食になり続けた。12歳で最愛の母を亡くし、自分が求める温かい愛情を父から受けることがなく、将来の目標を与えられることもなかったハリーが問題行動を起こすようになったのは容易に想像できる。だが、その一方で、常に正しい行動を求められる立場のウィリアムが「無責任にやりたいことができるスペア」に対してフラストレーションを懐き続けたことも想像できる。ハリーの回想録にはタブロイド紙が彼の問題行動を誇張したり捏造したことが書かれている。それは事実だと思うが、同時に若い頃の彼がかなり奔放だったことも事実であろう。エリザベス女王のスペアだったマーガレット王女、チャールズのスペアだったアンドルー王子がそれぞれに奔放であり、問題行動を起こしたことを思うと、この「spare」という立場そのものに問題があるのではないかという気がしてくる。結婚相手も仕事(チャリティを含む)も自分で選択することができず、王室の長である女王の許可を得なければならない。それはheirでも同じなのだが、彼らはいつか支配者になるという未来がある。でも、spareはhairに子供が生まれた瞬間にspareとしての価値も失う。収入など気にせずに無責任に生きられる立場を羨む人もいるだろう。なぜそれで満足できないのかと。しかし、人には「生きがい」や「生まれてきたことの意義」が必要なものだ。ハリーが回想録に書いているように「スキーのインストラクターになりたい」といった小さな望みすら叶えることはできない立場で、健全な人生を生きることができる人はどれだけいるだろう? 少なくとも私には無理だ。

ガールフレンドを作ることも容易ではない。どの女性も、タブロイド紙が過去を暴き出して誇張し、24時間パパラッチに追いかけられる状況に耐えられずにハリーを去った。おとぎ話とは異なり、プリンスと結婚したい女性はそういないのだ。その状況がようやく変わったのが、メーガン・マークルとの出会いである。出会いから結婚、そしてタブロイド紙からの執拗な攻撃とそれに影響された人々からの脅迫、心身の危機による王室を去る決断が書かれているのがパート3だ。

1981年の夏休みにロンドンに短期語学留学をした私は、ダイアナとチャールズの結婚式を見るために早朝からバッキンガム宮殿に行った。遠くから見ただけだが、私と同年代のダイアナ妃のその後はそれとなくずっと気になっていた。

ダイアナを殺したのはタブロイド紙だとずっと思っていたのだが、ハリー王子のSpareを読んでいて、「これは、40年以上かけて演じられている古典的なおとぎ話ではないか!」と思いついた。つまり、シンデレラや白雪姫のパターンである。

チャールズが本当に結婚したかったのはカミラだが、エリザベス女王が断固として認めなかったために諦めたというのはよく知られている逸話だ。普通ならそこで終わるのだが、カミラは他の男性と結婚してもチャールズとの関係を諦めることはなかった。その間にもカミラはダイアナに近づいて心理的操作をしたという噂もあるが、それが真実かどうかは知らない。英国王室についての噂の大部分は信頼できないということは忘れてはならないだろう。だが、ハリーが書いているように、メーガン妃を執拗に叩くタブロイド紙にリークしたのがカミラであるというのは、かなり信憑性がある。カミラは、メイフェアでのプライベートなランチで、メーガン妃を最もよく攻撃しているゴシップ・ジャーナリストのピアース・モーガンとジェレミー・クラークソンの2人と同席していたことが明らかになったからだ。しかも、その2日後に、ジェレミー・クラークソンはメーガンについて下記のような「おぞましい」としか言いようのないコラムを書いたのである(訳したくないほどひどいので、興味がある人は自動翻訳を使っていただきたい)。

At night, I’m unable to sleep as I lie there, grinding my teeth and dreaming of the day when she is made to parade naked through the streets of every town in Britain while the crowds chant ‘Shame!’ and throw lumps of excrement at her.

 

ハリーの回想録とこういった現状を見ると、カミラはシンデレラや白雪姫に出てくる典型的な「意地悪な継母」である。あまりにもそのものなので、指摘するのも躊躇するくらいだ。こういった寓話では、主人公が命を失わないためには、継母の影響が及ばない場所に逃げるしかない。つまりハリーがやったことは、シンデレラや白雪姫と同じことなのである。そう思えば、すべて納得できる。

ハリーとメーガンが無垢な白雪姫だと言っているわけではない。彼らには彼らなりの欠陥があり、失敗もおかしたであろう。しかし、読者は肝心なところを忘れてはならない。それが誰であれ、人は安全に生きる権利があるのだ。12歳のハリーは母を救うことができなかった。けれども、30代後半になったハリーは12歳の時にできなかったこと、つまり「自分が愛する人を守る」ことを実行したのである。兄や父、そして祖国を失うことを覚悟で。それは、尊敬に値する行動である。

執筆を援助したのは、アンドレ・アガシの素晴らしい回想録『Open』(拙著『ジャンル別洋書ベスト500』に収録)でゴーストライターを務めたJ.R. Moehringerである。ユーモアや呆れるような告白を交えたハリーらしさを失わずして、時には詩的とも言えるシーンを再現しているのは、Moehringerの手腕であることは間違いない。

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