SFに感化された少年が大人になって実現しつつあるSF的な人生 Elon Musk


邦訳版

作者:Walter Isaacson
Publisher ‏ : ‎ Simon & Schuster
September 12, 2023
Hardcover ‏ : ‎ 688 pages
ISBN-10 ‏ : ‎ 1982181281
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-1982181284
対象年齢:一般(PG15)
読みやすさレベル:7
ジャンル:伝記
キーワード:イーロン・マスク、スペースX、テスラ、X(Twitter)

ウォルター・アイザックソン著のイーロン・マスクの伝記は発売直後に読んだのだけれど、レビューを書くのに1ヶ月近くかかってしまった。

読んでいる間に思ったことは数多いのだが、それらを全部書き留めることはできないし、まとまりがつかない。そこで、しばらく考えようと思っているうちに1ヶ月が経ってしまったのだ。

読了から1ヶ月経っても強く印象に残っているのは、マスクの考え方に影響を与えたSFの数々だ。アイザック・アシモフのthe Foundation series(『銀河帝国の興亡』、ファウンデーション)とRobot series(ロボットをテーマにした短編と長編小説)、ロバート・ハインラインの『月は無慈悲な夜の女王』(The Moon Is a Harsh Mistress)、ダグラス・アダムスの『The Hitchhiker’s Guide to the Galaxy』は私が子供の頃から(アダムスは成人してからだが)好きだった本で、同じような本を読んで育ったのに全く異なる人生を歩んでいることに苦笑してしまった。

私はSFをSFとして読み、世界に人類が広まっていく未来を「もしかしたら、私が死んだ2世紀後くらいに実現するかも…」程度に夢想してきただけだが、マスクの場合は彼自身が生きている間に実現するつもりで行動してきたのだ。このあたりが凡人と天才の決定的な違いである。

マスクは自分自身がアスペルガー症候群だと自称しているが、アイザックソンはそれだけではないことを匂わせている。彼の感情の揺れは大きく、社員のウエルビーイングには否定的で、追い詰められた緊急事態の緊迫感の中で仕事をすることを好む。自分とは異なる意見は排除し、失敗は許さない。自分の求めていることを早急に実現するためなら、安全のための法律やステップを無視する…。絶対に上司にしたくないタイプだが、スティーブ・ジョブズもそうだったように、不可能を可能にし、世界を変えるのはこういった(ときには他人に迷惑な)天才なのかもしれない。

しかし、「天才だもの、仕方ないよね」とマスクを全面的に受け止めるつもりにはなれない。

マスクが重視しているhumanity(ヒューマニティ)には、同情、共感、慈悲といった人間性(humanity)のニュアンスは含まれていない。彼にとっては、個々の人間よりも「人類」が種として生き延びることが重要なのだ。スペースXとテスラが競合と根本的に異なるのはヒューマニティの定義ではないかと感じる。

マスクの重視するヒューマニティのおかげで、彼が経営する会社の社員や会社のプロダクトを使うカスタマーなど多くの人間のヒューマニティが犠牲になっていることがこの本からも想像できる。マスクは少子化による人類の存続も案じており、多くの(優秀な)女性との間に自分のDNAを持つ子供をたくさん産ませることで子孫をたくさん残すことを率先して実現している。彼のAIに対する姿勢も、アイザック・アシモフを読んだ時から信じているように「ヒューマニティの敵にならない」ことを重視したものだ。

マスクにとって自分のヒューマニティの定義のみが重要なのは理解できるが、私たちがそれを鵜呑みにして彼を大絶賛する必要はない。

マスクについてはこれまでにも多くの本が出ているし、記事にもなっている。また、ツイッター買収前後の彼の言動は多くの人がリアルタイムで目撃しているので驚きはない。それでもこの伝記を読む価値は、作者がウォルター・アイザックソンだというところにある。アインシュタイン、ダ・ヴィンチ、スティーブ・ジョブズといった天才の伝記を書いてきたアイザックソンは現在「世界で最も有名な伝記作家」と言っても過言ではない。マスクも以前から彼の本のファンだったようだ。アイザックソンだからこそ2年もマスクに密着して取材をすることができたのであり、他のジャーナリストがアクセスできないリアルなマスクの日常を知ることができたわけだ。

とはいえ、取材対象に密着しすぎるのは危険である。なぜなら、(私も体験したことだが)密着する間につい身内意識が生まれてしまうからだ。アイザックソンが公平な視点を心がけているのは行間から読み取れたが、同じような内容の繰り返しから感じたのはマスクに「人間性」という意味でのヒューマニティと親しみを持たせようとする配慮だ。アイザックソンは優れた作家なので、ついマスクに「親しみやすさ」など通常の意味でのヒューマニティ(人間性)を感じてしまうかもしれない。でも、長年の知人や社員のヒューマニティを一貫して無視してきた人物にそういったヒューマニティを与えるのはややフィクションだと思う。これから読む人は、そのあたりも考えながら読むといいかもしれない。

同時に同じ本を読んでいた夫は「すぐうんざりしてしまって、一度に読める量が限られる」とぼやいていた。読了後に感想をあれこれ話し合ったのだが「本を読む前と後とでマスク像に変化はなかった」と「やはりテスラは買いたくない」ということでは意見が一致した。

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