作者:Emily St. John Mandel (Station Eleven)
ハードカバー: 320ページ
出版社: Knopf
ISBN-10: 0525521143
ISBN-13: 978-0525521143
発売日: 2020/3/24
適正年齢:PG15(高校生以上)
難易度:上級〜超上級(時間と空間が飛ぶので、文芸小説を読み慣れていない人には把握しにくいと思う)
ジャンル:文芸小説
テーマ:ポンジ・スキーム(投資詐欺)、富の意味、異母兄妹、罪の意識、自己欺瞞、ブリティッシュコロンビア、ニューヨーク、マジックリアリズム
Emily St. John Mandel(エミリー・セントジョン・マンデル)は、新型インフルエンザのパンデミックで人類の大部分が死滅した世界を描いた小説『Staion Eleven』(2014年刊)で有名になったカナダ出身の女性作家だ。パンデミックそのものを描いてはいないが、致死率が高いミステリアスなインフルエンザが猛烈な勢いで広まっていることを警告する医師や、舞台の上で突然死した俳優の葬式に参列した者のほとんどが3週間のうちに「ジョージア・インフルエンザ」にかかって死亡することなど、まるで2020年4月現在に全世界で起こっている新型コロナウィルスを予言したような作品だ。
マンデルの新作『The Glass Hotel』は、新型コロナウィルスのパンデミックのさなかに刊行されたのだが、未来を予測したようなStation Elevenとは異なり、これは金融危機時代の過去に遡る作品だ。
2007年末から起こったサブプライムローン危機とそれに続くリーマンショック、世界金融危機などを覚えている人なら、「バーナード・マドフ」という名前も覚えていることだろう。NASDAQの会長を務め、世界の富豪たちから最も信頼できる投資家として頼りにされていた人物が、実際には投資運用などはしない「ポンジ・スキーム」を行っていたのだ。マドフの投資詐欺は世界最大級で、富のすべてを失って自殺した人たちもいた。
マンデルの『The Glass Hotel』にはマドフは出てこないが、彼をモデルにしたのが明らかなJonathan Alkaitisが登場する。とはいえ、これは投資詐欺を扱ったスリラーではない。
小説の最初に「私」という一人称で登場するのは、女性には珍しいVincentという女性だ。Begin at the end.という出だしで予想できるように、終わりの場面から始まる。本文は、その終わりが来るまでにVincentとVinentが関わった人々の物語だ。
主要人物であるVincent、異母兄のPaul、Alkaitis、後にポンジスキームの犠牲者になるLeonが初めて同じ場所に存在したのは、カナダ、ブリティッシュ・コロンビアにあるホテルだった。不便な孤島の自然の中にそびえるガラスでできた超豪華なリゾートのオーナーはAlkaitisで、客は彼に投資しているような裕福な者たちだけだった。Paulはラウンジの窓ガラスに”Why don’t you swallow broken glass(砕けたガラスを飲み込めばいい)”とメッセージを書いたことで解雇され、ホテルのバーでバーテンダーをしていたVincentはAlkaitisに見初められて偽りの妻になった。
このように筋書きを書き始めると、まるでよくある人情劇のようになりそうだ。だが、そうならないところがマンデルだ。卑属な現実を背景に流しながらも、登場人物たちは夢と現実の間を漂っている。実際に、登場人物たちは「ghost version」とか「the counter life」という表現で、異なる選択肢を選んでいた場合のパラレルワールドの自分を想像するようになる。
Vincentとその他の主要人物たちの違いは、このパラレルワールドについての考え方だろう。PaulやAlkaitisは自分たちが犠牲にした者についてときおり罪の意識を持つのだが、すぐに理由をみつけて自分の行動を正当化する。自己欺瞞に慣れた彼らと比べて、Vincentは過去をただの記憶として扱っている。
この小説を読んでいる間、Vincentには作者のマンデルがかなり投影されているのではないかと思った。マンデルが生まれ育ったのは、カナダのブリティッシュコロンビアにあるデンマン島だ。The Glass Hotelの島のように、フェリーがないと孤立してしまうし、人口も1000人くらいの小さな島だ。18歳でデンマン島を離れてトロントでコンテンポラリーダンスを学び、その後マンハッタンに移ったマンデルには、こういった事後欺瞞がうまい男性たちとの出会いはかなりあったことだろう。だとしたら、鎮痛剤が効きすぎているようなVincentのリアクションは、作者のものなのだろうか?
私が最も感情移入したのは、誰も来なくなったホテルに残った支配人だ。支配人がホテルの世話に飽きることはないと思うが、休みを取りたくなった場合には私がしばらく代行してあげたいと思った。