NASAジェット推進研究所(JPL)でResearch Technologistをされている小野雅裕さんは、マーズローバー「パーサヴィアランス」のチームメンバーでもある。小野さんの宇宙への夢はかなり前から知っているので、ここまでの努力を読んでもらい泣きをしたくらいだ。その小野さんのツイートで、パーサヴィアランスの着陸地点がOctavia E. Butler Landingと名付けられたことを知った。
「オクタヴィア・E・バトラーって誰?」と思う人は多いと思う。そこで、小野さんから「一番のおすすめは何ですか?」と尋ねられてお薦めした2つの本をここでご紹介しようと思う。
適正年齢:大人向け
難易度:8
ジャンル:SF/文芸小説/歴史小説
オクタヴィア・E・バトラーは1947年にカリフォルニア州のパサデナで生まれた。JPLのメーリングアドレスはパサデナなので地元作家と言えるかもしれない。貧しい家庭で育ったために学びたくても学べなかったバトラーの母は、娘には学びの機会を与えたかった。低賃金のワーキングクラスでありながらも、雇用者が捨てた本や雑誌を娘に与えて読書を促し、バトラーは「図書館で育った」というほど本を読み漁った。生活のためにいろいろな仕事をしながら、バトラーは作家になる夢を懐き続けた。バトラーが若い頃のアメリカでは黒人女性作家そのものが少なかったのだが、SFのジャンルでは「皆無」だった。SFのジャンルでは黒人作家そのものがほとんどいなかった。作品が初めて活字になったのは1971年のことだが、最初のうちは売れない作家として苦悶していたようだ。
作家としてバトラーの名が広く知られるようになったのが、1979年に刊行されたKindred(邦訳版は『キンドレッド 絆の召喚』(1992年)。現在は廃刊の様子)だ。
KindredはタイムトラベルというSFの手法を使っているが、SFというよりも文芸小説である。現代(1976年)のロサンジェルスに住む若い黒人女性作家が奴隷時代のメリーランド州にタイムトラベルで飛んでしまう。そこで主人公は自分の先祖に会い、プランテーションで自分も抑圧と暴力の対象になる。白人の夫を持つ20世紀後半の現代的な黒人女性の視点で奴隷時代の現状を体験することで、人種やジェンダー差別の問題を浮き彫りにしている。ホラーに近い残酷なシーンがかなりあるのでそういう物語が苦手な人には薦められないが、私はこれがバトラーの代表作だと思っている。
2021年現在には、SFやファンタジーのジャンルでも黒人作家、特に女性の作家が増えている。N.K.Jemisin(N・K・ジェミシン)は2016年に『The Fifth Season』で黒人女性として初めてのヒューゴー賞の長編小説部門の受賞者になり、2017、2018年と3年連続で受賞して記録を作った。ジェミシンの達成はもちろん彼女自身の才能と努力によるものだ。けれども、バトラーが先達として道を切り開いたからこそ、現在多くの黒人女性作家がこのジャンルで活躍できていることは忘れてはならないと思う。
●短編集
Bloodchild and Other Stories(1996)
適正年齢:PG15+(高校生以上)
難易度:8
ジャンル:SF/ファンタジー/短編集
バトラーは、自分で「短編を書くのは嫌い」だと言っている。けれども、彼女が1984年に初めてヒューゴー賞を受賞したのは短編のSpeech Soundsであり、中編小説(Novelette)のBloodchildは同年にネビュラ賞を、翌年にローカス賞とヒューゴー賞を受賞している。自分のアイディアを書きつくすためには長編でなければ無理だという考え方があったのだろうが、バトラーを知らない読者にとって、この短編集は作家としてのバトラーの考え方や文章を知るよい機会だと私は思う。
ひとつひとつの作品の後でバトラーが「あとがき」の形で作品を説明しているので、それも読者には興味深い。バトラーの作品は残酷な場面がよく出てくるのだが、それもこの短編集で経験することができる。日本ではSpeech Soundsが「ことばのひびき」、Bloodchildが「血をわけた子供」、The Evening and the Morning and the Nightが「昨夜と朝と夜と」として邦訳されているようだが、たぶんもう購入することはできないと思う。