アメリカのミレニアル世代の「恋愛ではなく恋愛以上の男女間の愛」を描き、シリアスな文芸小説でありながら娯楽小説として成功している Tomorrow, and Tomorrow, and Tomorrow

作者:Gabrielle Zevin (The Storied Life of A. J. Fikdy)
Publisher ‏ : ‎ Knopf
刊行日:July 5, 2022
Hardcover ‏ : ‎ 416 pages
ISBN-10 ‏ : ‎ 0593321200
ISBN-13 ‏ : ‎ 978-0593321201
対象年齢:一般(PG15 性的な場面あり)
読みやすさレベル:7
ジャンル:現代小説、文芸小説
テーマ、キーワード:恋愛ではない男女の愛、ゲームクリエイター、人生とゲーム、アジア系アメリカ人

交通事故で最愛の母を亡くし、足を砕かれた11歳の少年Sam Masurは、LAの病院で同年代の少女Sadie Greenと出会った。2人はスーパーマリオブラザーズを通じて仲良くなるが、ある出来事により交友関係を断ってしまった。

2人が次に出会ったのは約10年後のことだった。ハーバード大学3年生になったSamは、駅のプラットフォームでSadieを見かけて声をかけた。SadieがMIT(マサチューセッツ工科大学)に入学していたことは知っていたが、コンタクトはしなかったのだ。有名なゲームクリエイターでもあるMITの教授のクラスで学んでいたSadieは、自分が作ったゲームをSamに渡した。それがきっかけで2人は再び親しくなり、Samのルームメイトで裕福なMarxをプロデューサーにしてゲームを作ることになった。

Sadieはユダヤ系の白人だが、ゲームの世界では女性であるだけでマイノリティである。Samの父はユダヤ人だがまったく関わりがなく、彼を育てたのはコリア系アメリカ人の母と韓国からの移民の祖父母だった。Marxの父は経済的に成功した日本人で、母親は日本に留学した韓国人だった。それぞれに社会のマイノリティである3人が一緒に考え出したのは、アジア系の幼い子どもIchigoが波にさらわれ、そこから両親の元に戻る冒険のゲーム「Ichigo」だった。セッティングの背景は葛飾北斎の「富嶽三十六景」の《神奈川沖浪裏》(英語では「Great Wave」として知られている)で、性別をわざと決めないIchigoは奈良美智の絵を連想するものだった。

「Ichigoの性別を決めず、ユーザーに勝手に想定させる」というのは重要な設定だった。だが、Ichigoをリリースするゲーム会社を選ぶ時、「ユーザーはほぼ男性。女の子だったら売れない」という理由で男の子に設定することを前提にする大きな企業のほうをSadie以外全員が支持した。そして、Ichigoが売れるようになった時、誰もがIchigoはSamが作ったものだと決めつけた。仕事の大きな部分を行ったのはSadieだったにもかかわらず。

互いの延長のように繋がっていたSadieとSamだったが、暗くて複雑だけれども美しいゲームを作りたいSadieと、自分の身体の障害を忘れさせてくれたゲームのような娯楽的なものを作りたいSamの違いに加え、Sadieのわだかまりと不信感、重要なことを口にしないSamの屈折した感情が2人の関係にヒビを入れていく……。

40年近くにわたるSamとSadieの関係は、「親友」という箱には入らないほど緊密であり、恋愛関係を超える愛情である。だからこそ、2人は衝突し、離れては、近づく。私はまったくビデオゲームをしないのだが、そんな私であっても彼らのクリエーションの情熱には引き込まれてしまった。また、2人と彼らを取り囲む人々との関係には、Hanya YanagiharaのA Little Lifeに通じるものがある。楽しくて、そして切ない。

タイトルはウィリアム・シェイクスピアの『マクベス』に出てくる、マクベスのスピーチから来ている。これも、コンピューターゲームを扱っているこの小説に流れているテーマでもある。

Tomorrow, and tomorrow, and tomorrow,
Creeps in this petty pace from day to day,
To the last syllable of recorded time;
And all our yesterdays have lighted fools
The way to dusty death. Out, out, brief candle!
Life’s but a walking shadow, a poor player,
That struts and frets his hour upon the stage,
And then is heard no more. It is a tale
Told by an idiot, full of sound and fury,
Signifying nothing.

他にも興味深いところが沢山ある小説でもあった。たとえば、「cultural appropreation(文化の盗用)」だ。アメリカでは最近これがよく話題になっている。もともとは、支配者階級にあるグループが、抑圧されているグループとその文化について、見下すようなステレオタイプや人間性奪うような使い方をしてきたことを問題視したものだった。たとえば、白人が娯楽で顔を黒く塗る「ブラックフェイス」や、ビクトリアシークレットのほぼ裸のモデルが先住民族の衣装を身につけていたものとか、そのグループが「侮蔑的」と感じるような使い方である。この問題は可視化されるべきであり、改善されるべきだと思う。

しかし、ソーシャルメディアのおかげでcultural appropriationの解釈は拡大し、例えば白人の作家がラテン系の主人公である小説を書いたときにボイコットまで起きるようになってしまった。自分の人種以外の人の視点を描くと、cultural appropreationとしてソーシャルメディアで叩かれてこれまで積み上げてきたキャリアを潰される。その「キャンセルカルチャー」に危惧を覚えている作家は少なくない。だが、それを口にするとさらに叩かれてキャンセルされるので言えない…。

本書では、主要登場人物のSam Mazerがインタビューに答える形でその鬱憤を次のように表現している。

“The alternative to appropriation is a world where white European people make art about white European people with only white European references in it. Swap African or Asian or Latin or whatever culture you want for European. A world where everyone is blind and deaf to any culture or experience that is not their own. I hate that world don’t you? I’m terrified of that world and I don’t want to live in a that world, and as a mixed race person, I literally don’t exist in it. My dad, who I barely knew, was Jewish. My mom was an American-born Korean.(appropriationに取って代わるものは、白人のヨーロッパ人が白人のヨーロッパ人のみ参考にした白人のヨーロッパ人のアートを作る世界だ。その部分をアフリカ人、アジア人、ラテン系、どれでも好きなものに変えてみればいい。誰もが自分の文化や経験以外には目も向けず、耳も傾けない世界だ。そんな世界には僕は住みたくないね、そう思わないかい? そんな世界は恐ろしいよ。そんな世界に住みたくないし、人種ミックスの僕は、その世界には文字通り存在しないことになってしまう。ほとんど知らない僕の父はユダヤ人で、僕の母はアメリカで生まれたコリア系だ。)”

作者のZevinも父がユダヤ人、母がコリア系アメリカ人なので、作家としての彼女の視点がこういったところに現れていると思った。私の娘も、日本と(ヨーロッパのいくつかの背景が混じっている)白人の夫の血をひくMixなので、Mazerの発言には同意せずにはいられなかった。また読者としても、こういう狭い視点のcultural appropreationがはばかる世界には住みたくない。

そもそも、この本の登場人物たちのように、スーパーマリオブラザーズとオレゴントレイル・ゲーム、宮崎駿とたまごっちで育ったアメリカのミレニアル世代にとって、それらは彼らのオーガニックな文化ではなかろうか?そんな彼らが日本人の子供をゲームの主人公にするのはculture appropreationだとは私は思わないのだ。

こういったことも含めて多くのレイヤーがあり、読み終わるのが嫌になるほど面白かった。そして、読了後もずっと彼らのことを考えているほど余韻が残る小説だった。

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