本と旅をテーマにした新しいエッセイシリーズ「本を手に旅に出よう」を始めます。
初回は「観光客が知らないナンタケット島を歩く」です。
夫のDavidと私がナンタケット島に家を買ったのは1991年(オファーしたのは1991年で、契約サインのクロージングは1992年)で、私たちはまだ東京に住んでいた頃だ。
「東京に住んでいる若いカップルがなぜゆえナンタケット島にバケーションハウスを買うのか?」と疑問に思う人はいるだろう。当然だ。私もおおいに疑問だったのだから。
言い出しっぺは(いつものことながら)Davidである。元々ウォール街でキャリアをスタートした彼は投資やら税金やらを考えるのが趣味と言えるほど好きなのだ。「この新しいルールをどう利用するべきか」と出会った時から30年以上毎日のように私にレクチャーしてくれるのだが、私が身につけたのは残念ながら「聞き流す技術」だけである。
ある日「僕の日本滞在が5年になるとアメリカに収める税金控除が変わる。その場合、debt(借金)を作って固定資産を持つほうが良いということになる。それを利用しないのは勿体ない」とアメリカで不動産を購入することを提案してきた。
これもいつものパターンなのだが、Davidが「どうしてもこれが欲しい/やりたい」という強い要求を突きつけて来た時に自分がそれに対抗する強い意見や要求を持たない場合、私は「まあ、好きにやってください」と流れに乗る。言い争うのにはエネルギーが必要だし、私の曖昧な「気持ち」より「夫婦の平和」のほうが貴重な気がするからだ(このあたりは、私もかなり日本人的かもしれない)。「なんか、いいように利用されている気がする」と思うことが多いが、やってみて良かったこともあるので、いったんOKしたらポジティブに協力することにしている。
ということで、結婚2年目に入ったばかりの私たちはアメリカ訪問時に不動産をいくつかチェックすることになった。
私よりもこのプロジェクトに情熱を抱いたのは夫の母親である。私たちの結婚式の時もそうだったが、義母はこういうイベントが大好きなのだ。彼女は知り合いの不動産エージェントを使って自分の自宅のすぐそばにある家をいくつか見つけてきた。投資として家を買い、それを貸家にするというプランだ。息子がアジアでの仕事に飽きてアメリカに戻ってきた時には近所に住んでくれるだろうという目論見も透けて見える。
そこで私はアメリカ訪問前に「家を持っているのにアメリカを訪問した時に自分で使えないってのも嫌だよね」と夫を洗脳し始めた。そのうちに夫はそれが自分の意見だと信じるようになってきたので、訪問前から義母に「他人にばかり使わせる家を買うのは嫌だ」と言うようになった。義母は私たちよりさらに上手なので、ちゃんとプランBを用意していた。「観光シーズンはレンタルで収入を得ることができ、自分たちが訪問した時には使えるバケーション用の家を買う」というものだった
義母が強く推したのは、彼女のリッチな友人たちがバケーションハウスを持つナンタケット島だった。

アメリカの不動産について無知な私は、義父母と夫にいいくるめられて一緒にナンタケット島を訪問し、ナンタケット島名物のロブスターとクラムチャウダーを食べながら私たちの予算で購入可能な家を吟味する羽目になった。ハイアニス港からナンタケット島に向かうカーフェリーは悪天候で揺れまくり、私は暴風雨にされされつつもフェリーの欄干を掴んで2時間以上吐き気をこらえつつ「訪問するたびにこんな思いをする場所に、なぜ家を買わなければならないのか?」と恨みをつのらせていた。
オマケに「良さそうな家だな」と思った家は必ずいわくつきだ。地元の不動産エージェントが「少なくとも、この家には幽霊はついていませんよ」と言うのでジョークかと思ったら、この島では幽霊つきの家は珍しくないらしい。実話だけを集めたこんな本すらある(読んで怖くなってきて捨てたくらい)。
幽霊がついていそうな古い家ではないいわくつきではない家を探していたら、結果的に義母のワンコの獣医さんで友人でもあるドクターF夫妻の隣の家を買うことになってしまった。でも、それは皆が考えているように「偶然の重なり」ではないと今でも信じている。なにせ、購入後のこの家の内部をデコレーションしたのは、インテリアデザイナーを生業にしているミセスFと義母なのだから。
購入してから最初の10年ほど私がこの家でやったことは掃除と修理ばかりだ。家を貸すためにはレンタルエージェントを使わなければならない。そして、レンタルエージェントの要求は厳しい。そのテストに合格するためには毎年春に徹底した掃除が必要なのだ。
当時は日本在住でフルタイムの仕事もしていたので、年に2週間の休みを取るのも難しかった。しかも、せっかく取った休みの最初の1週間は鬼軍曹と化した義母の命令に従って家を隅々まで掃除する「ブートキャンプ」である。家具を全部動かして冬の間に家に入り込んで死んだ虫を排除し、床を磨き、窓と蚊よけスクリーンを全部外して洗い、それから窓ガラスを磨く。カーテンを外し、洗えるものは洗ってアイロンをかける。シーツやタオルはすべてもう一度洗って丁寧に畳んでクロゼットにしまう。こういう徹底した掃除をいい加減にやると、ダメ出しされる。お腹が空いてきて「ランチを食べに出かけましょう」と提案すると、「そんな時間はないからサンドイッチを作って食べなさい」とすげなく却下される。
Davidはこの間どこにいたかというと、いつも青空のマイアミである。彼は会社の年次会議にあわせてアメリカ訪問を予定し、「春の大掃除」の間は会議に行ってしまう。会議で同僚たちとパーティを楽しみ、そして残りの1週間でナンタケット島のビーチを楽しむというのが毎年のパターンだった。義母は息子が島に来るまでに掃除をすませて一緒の時間を楽しみたいので、「ランチなんかする暇はない!」と鬼軍曹になるのである。
この家が自分のものだと感じるようになったのは、他人に貸すのをやめてからだ。でも、そのずっと前からナンタケット島そのものは私の一部になっていた。

ナンタケット島にあこがれるアメリカ人は多くて、この島を舞台にした小説は多い。特に女性読者に大人気のElin Hilderbrandのような作品である。Hiderbrandは長年の島の住民だが、島に住んでいない作家もこの島を舞台にしたロマンス小説を数多く書いている。義弟の再婚相手は、それまでこの島には無縁だったのにここで結婚式を挙げたほど憧れていた。
この島に憧れる人や観光に訪れたことがある人と話すと、私にとってのナンタケット島と彼らにとってのナンタケット島がかなり異なることに気づく。義妹は「あのレストランに行った?」「あのブティックは?」「あのスパに行ったことないなんて、信じられない!」「あのヨガのクラス取ったことないの?」と情熱的に語るのだが、私の答えはいつも「No」なので、お喋りがそこから先に進まない。
私にとってのナンタケット島の価値は「美しい自然の風景」であり、時間を忘れてその美しい風景にゆったりと浸ることができることだ。
観光客は美しい街並みの中心街や港、そして有名なビーチに集中する。だから、わずか2万7千ヘクタールの小さな島なのに観光シーズンさなかに誰もいないビーチやハイキングトレイルがいくらでも選べる。2時間歩いていて誰とも会わないことはよくある。会ったとしても、私と似たような趣味なので情報を交換するお喋りが楽しい。

じつは、家を購入した頃の私は「『白鯨』に出てくる島」としてのナンタケット島しか知らなかった。
そんな私に島の歴史を教えてくれた大切な本がナンタケット在住の歴史ノンフィクション作家Nathaniel PhilbrickのAway Off Shoreだった。キンドルの誕生前でありインターネットにもさほど情報がなかったので、この本をきっかけに孫引きをして古い本を数多く読んだ。この本のおかげで、私は特殊な歴史とエコシステムがあるナンタケット島を本当に知りたくなった。
私は気楽にあちこちを歩き回ることでナンタケット島を学ぶのが好きなのだが、Davidは「達成」があるプロジェクトを好む傾向がある。最近はバーモント州にあるあまり知られていないトレイルをキャンプしながら歩き終える計画を立てていて、その練習も始めている。険しい道を登ったり、テントで寝る体験をしたことで(やや過剰な)自信をつけたのか、「ナンタケット島の新しいCoast-to-coast トレイルが完成したら挑戦しよう」と言い出した。
以前からナンタケット島を横断するACK Coast-to-coast trailは存在したのだが、それはNantucket Conservation Foundationのもので、最短距離に近い18.8マイル(約30km)だった。新しいトレイルは、NCFを含むナンタケット島の自然・環境保護に関連した複数の団体(Nantucket Conservation Foundation, Land Bank, Massachusetts Audubon Society)に加えて町と州が所有する森林が協力する大規模な企画だ。新しいトレイルの距離は25マイル(約40km)で、以前よりかなり長くなる。その代わりに、舗装道路はほとんど使わず、自動車が入り込めない保護地をジグザグしていく美しいトレイルらしい。


私のリアクションは村上春樹的な「やれやれ」である。私は思いついたときに、思いついた場所を、時間制限なく歩くのが好きなので、「達成」が目標のハイキングには情熱を抱けない。でも、先にも書いたとおり、夫が「どうしてもこれが欲しい/やりたい」という強い要求を突きつけて来た時に自分がそれに対抗する強い意見や要求を持たない場合には「まあ、好きにやってください」と流れに乗るタイプなので、今回も流れに乗ることにした。聞き流していれば忘れるかもしれない、という希望的観測もあったし。
しかし、それは甘い期待であった。2022年7月にトレイルが完成した時から「今年はタイミングがあわないので、来年の6月に挑戦する」と繰り返し言うようになった。そして今年最初の訪問である5月23日に「僕の仕事が入っていない26日と27日に半分づつを歩いて練習し、6月の訪問時に全コースを歩こう」と打診の形を取った予定を言い渡された。
やるからには準備が重要なので、次のような準備をした。
まず日焼け防止。私は自己免疫疾患があり、日光過敏症も悪化しているのでこれは欠かせない。私が使ったのは人体にも環境にも悪影響がないという次の日焼け止めだ。
50歳を過ぎた頃から足がよくつる ようになったので、その予防対策も取らなければならない。愛用しているのが、電解質を補給するための次の製品だ。運動の最中これを飲むようになってから夜中に足がつることが減った。この日は半日分として2つタブレットを使った。
もうひとつ最近始めて気に入っているのが、筋肉のリカバリーに有効な必須うアミノ酸BCAAと非必須アミノ酸のグルタミンの組み合わせBCAA GLUTAMINE。これを飲むようになってから、疲労の度合いがかなり変わってきて、起床した時の「どよ〜ん」とした感じがなくなったのが嬉しい。これは電解質を溶かした水筒とは別の水筒を使った。
バックパックは女性の身体に合わせてデザインされたOsprayのデイトリップ用 Tempest 20
これに、バックパックを外さずに水を飲み続けることができるパックも加えた。ハイキングで最も重要なのは水分補給なので。
重量を加えずにしてエネルギー補給するために、いくつかのプロテインバーとナッツ(アーモンド、ピーナッツ、ドライ・チックピーを自分でミックス)、皮ごと食べる小ぶりのオーガニックアップルをパックした。
5月26日は午前3時30分に起床し、ブラックコーヒーと卵2つのオムレツという朝食(私は基本的に炭水化物はなるべく避けているので)。そして、水分補給とストレッチ。
6時にわが家を出発し、6時45分にSconsetスコンセットの出発地点に到着。

新しくできたトレイルの標識の前で記念撮影して、ようやくスタートである。
気温は5度で風は冷たかったが、歩き始めると暑くなるのはわかっていたので、脱いでコントロールできるよう3層にした。トップのダウンは小さく畳める旅行用のもので、バックパックに入れても重さの違いを感じない。
歩き始めてみると、去年の未完成の時にチェックしたのとは異なるルートになっていた。島に来るようになって31年めの私たちが知らない小さなトレイルばかりで、「こんなところがあったのか!」と感心しながら歩いた。
このあたりは余裕たっぷりで、景色を楽しむために立ち止まり、お喋りもはずんでいた。
どこまで歩いても誰にも会わない。それくらい、マル秘の場所を歩いていることに感激してしまった。
Alter Rockを過ぎたあたりから私は、ひっそりと「今日のうちに、半分ではなくトレイル全部を歩き終えてしまえないものか」と思うようになった。でも、まだ1/4地点なので言い出すのはもう少し待つことにした。
1/3くらいを終えた時にはまだ元気たっぷりだったので、1/2終了が近づいた頃に「今日このまま全コースを歩いてしまわない?」と提案してみた。晴天だが気温は低く、ナンタケット島にしては珍しく風があまり強くない。Davidは「今日は晴れ過ぎている。僕は曇の日のほうがいい」と言うが、次に私たちが歩ける機会は7月になる。それを逃すと8月か9月。その頃には気温が高くなり、蚊やライム病の媒体であるダニに悩まされることになる。雷や雨の可能性も高くなる。「今日のコンディションは100%に近いパーフェクトだから逃すべきではない」と、私はmake a case(説得力ある主張を展開)した。
たまに強く主張することの良さは、耳を傾けてもらいやすいことである。また、相手の論理的な思考に訴えかけることも重要である。説得が成功してそのまま最後まで歩くことに決定したのは良いのだが、後半の1/2は前半の4倍くらい大変だった。よくキャンプにでかけるニューハンプシャー州のように高い山もなければ、岩だらけの道もない。とても歩きやすい道ばかりなのだが、同じ動作を長時間続けるのは予想以上に身体に負担がかかる。1/2を終えたあたりから股関節周縁の筋肉や腰が痛くなってきた。
オマケにこのあたりから普段の行動範囲(私がよく歩き回る場所)になってきて、風景に驚きがなくなったのも疲労感を強くした。知っている場所だと距離が短く感じるのではないかと思ったが、下手に知っているために退屈して「この後が長いんだよね〜」とか「美しい風景のトレッドミルみたいだ」とか余計なことを思ってしまうのだ。
私は「痛みを我慢して最後まで歩き終えるしかない」という感じで、ともかく歩き終えたかった。ところがDavidはあちこちで座って休みたがる。私はその間立ったままでストレッチをしていた。いったん座ってしまうと筋肉が固まってしまって動けなくなるのがわかっていたから。
30km地点くらいか「どうも静かだな」と振り返るとDavidが後ろにいないことが増えてきた。膝に両手をついて「疲れた」と言っている。どうやら水をがぶ飲みしてしまったようで足りなくなってきたみたいだ。私は水分補給はちびちび連続的にするよう心がけているのでまだ残っていた電解質とアミノ酸を溶かした水を飲ませて「もうじきだから、後は気力で乗り切るべし。歩き終わった時の達成感をイメージして機械的に足を動かす!」と活を入れた。

するとDavidは、「君は普段から歩き回って慣れているからいいけれど、僕の場合は岩を登ったり降りたりでこういった同じ動作の繰り返しはしないから疲れるのだ」と言う。それまで黙っていたのだが、「私も実はあちこち痛いし疲れている。しかし、dillydally(ちんたら)していたら余計に疲れるから、ネガティブな思考をブロックして頭の中にゴールを描いてそこに向かって機械的に前進しているだけである」と説教してしまった。自分でも偉いなあ、と思ったのは「このトレイルを歩きたいと言ったのはあなたですよ!」という嫌味を一言も口にしなかったことである。Davidが「疲れた」と愚痴るたびに頭の中で叫んでいたので、聖人のふりはできないが。。。
ようやくゴールに到着し、ベンチに座ってから疲労がどっと押し寄せた。もう一歩も歩きたくないというか、脚が立つのを拒否する。
一方のDavidは、ゴールに到着したとたん、元気いっぱいになってUberを呼んでいる。お気に入りのレストランでのディナーを午後5時15分に予約していたので、それに間に合わせようと必死なのだ。
私の身体は「もうディナーなんかいいから、シャワー浴びて寝たい」と言っている。けれども、せっかくの達成を祝うために汗だくのヨレヨレ姿でレストランに直行することをOKした。
それにしても不思議なのは、ぜんぜんお腹が空かないことだ。9時間30分のハイキングの間に私が食べたのは、プロテインバー1個(190 カロリー)とりんご1個とナッツひとつかみだけなのに。たぶん疲れすぎると食べられないタイプなのだと思う。(燃費が良い日本製ハイブリッド車、という噂もある)
実はこの後、レストランでメインのディッシュが出てきた時に私は突然気分が悪くなって一瞬意識を失ったという出来事があった。症状からすると過労による迷走神経反射性失神だと思う。家に戻ってからシャワーを浴びて、電解質入の水を飲み、マッサージマシンで筋肉をマッサージしてから早めに就寝したら、夜中に脚がつることもなく、翌朝はまったく筋肉痛がなくて元気いっぱいになっていたので、私が使っているマシンをご紹介しておこうと思う。これでのマッサージを怠ると必ず夜中に脚がつるので、忘れないようにしている。よくつる人は試してみてほしい。
ところで私が一瞬気を失っている間、Davidは私を支えながら、しっかりとディナーを平らげていた。そうしながら、レストランの人たちに「僕たち今日Coast-to-coast trailを完歩したんだよ!」と自慢していたらしいのだから、余裕たっぷりだ。ほんの少し前まで「もう歩けない」と弱音を吐いていた人とは思えない回復ぶりである。

最初から最後まで二人の性格の違いが鮮やかに出たナンタケット島横断であった。