悲劇的な人生を送ったメアリー女王のスコットランドを歩く ー エッセイシリーズ「本を手に旅に出よう」

「スコットランドに行きたい!」と最初に思ったのは、ロンドンに住んでいた1986年ごろだ。友人のイギリス人女性が住んでいたフラット(アパートメント)の上階にスコットランド人の青年が住んでいて、友人がいつも「文化も言葉も異なるので理解しあえないことがある」とぼやいていた。確かに彼が何を言っているのかまったく理解できなかったのだが、それは私の英語力の問題だと思っていたので「ああ、そうだったのか」とほっとしたことを覚えている。言葉は通じないが、ぬいぐるみのクマさんのように穏やかな人で、こういう人を生みだした地はどういう場所で、どれくらいイギリスと文化が違うのか知りたいと思ったのだ。

日本に戻ってからも仕事でイギリスを訪問する機会があり、かなり北上したのだがスコットランドに足を踏み入れる機会は巡ってこなかった。「いつか…」と思っていたのだけれど、旅行に行くチャンスがあるとつい優先順位が高い場所を選んでしまう。60カ国以上を訪問した後でもなかなかスコットランドは上位に食い込んでこなかった。

そんなことをしているうちに、スコットランドはアメリカ人にとってめちゃくちゃ人気がある旅行先になってしまった。

その理由は、Diana GabaldonのOutlanderシリーズだ。
 
2009年に本ブログでご紹介したときにはすでに「大人気」で、じきにファンがスコットランドに団体旅行するようになった。その現象をコミカルなロマンス小説にした人もいる(作者と交流したこともあった)。それがさらに、Starzでドラマ化されてからは「超」がつく人気になってしまった。

ここまで人気が出てしまうと、私はちょっとへそ曲がりになってしまうところがある。スコットランドのハイランドの風景に未練はあったけれど、しばしプライオリティが低いデスティネーションになっていた。

夢にみたハイランドの風景(実際に見るとさらに驚異的だった)。

その状況が一気に変わったのが、2022年の終わり頃だ。ある夕方iPhoneでインスタグラムを眺めながら「インスタグラムって存在価値がいまいち私にはわからないのよね〜。でも、Castle of Scotlandを観ているだけで価値があるかも…」と夫のDavidにむかって呟いたところ、彼も「ほんとにいいね、このアカウントは」と2人でしばしスコットランドのお城の映像を眺めていた。

翌朝Davidが「スコットランドに行こう!」と言い出した。

マイレージプログラムに入っているアメリカン航空(実際の飛行機はブリティッシュ・エアウェイズ)からスコットランドへのビジネスクラスチケット半額キャンペーンのメールを受け取ったというのだ。(若い頃には南回りの激安チケットで知らない団体の真ん中の席で旅をしたものだが、この歳まで頑張ったのだから楽をさせてもらいたい。ゆえに夫には「海外にはビジネスクラスでしか旅をしたくない」と言い渡しているのだ)。

「これはスコットランドに行くべし、という運命からのメールにちがいない」と言うので「わ〜い」と運命に感謝してスコットランドに行くことになった。

私は旅行の計画を立てることそのものが好きなので、チケットのみをDavidに任せて私はプラン係になった。でも、Davidは「運転は自分でしたいけれど、トラブルに巻き込まれることを避けるためにも手配はエージェントを使いたい」と言う。そこで、エージェント探しからスタートした。

いろいろ探してみつけたのが Scottish Clans and Castles というエージェントだった。ここはOutlanderのツアーで有名らしく、利用者のレビューが非常に良い。私たちはOutlanderツアーはしないが、口うるさいファンたちからこれだけの評価を得るのだから信頼できると思ったのだ。15世紀から続く古い血統の貴族がガイド兼運転手をされているということで、試してみたかったのだがDavidは「自分で運転する」と強い決意を持っていたので、今回は諦めた。ここを利用して本当に良かったと思ったのは、私たちの希望(お城、新石器時代のスタンディングストーン、自然の中でのハイキング)を吟味して、ありきたりではない場所を選んでくれたことだった。団体旅行の大きなバスがあまり行かない場所ばかりだったというのも良かった。

スコットランドにはイギリスとの関わりにおける悲劇的な歴史がある。Outlanderの読者ならよく知っているハイランドのジャコバイト革命、それより何世代か前にエリザベスI世によって(女王自身は自分の関わりを否定していたようだが)斬首刑にされたメアリー女王などだ。

エリザベスI世については、本や映画などでカリスマ的な強い女性のイメージを抱いている人は多いと思う。良い意味で。それに対してメアリー女王(Mary, Queen of Scot)は忘れ去られている感がある。私も首をはねられたいきさつとかあまり良く知らなかったので、長い飛行機の旅の間に読んでみることにした。

代表的なフィクション(小説)はMary Queen of Scotland and The Islesのようである。
 

面白いのは面白いのだが、読んでいるうちに「主観が強い小説よりもノンフィクションを読みたい」と思うようになり、Antonia Fraser著のノンフィクションMary Queen of Scotsに切り替えた。ドライだと思う読者もいるようだが、ストレートに歴史を説明してくれたので、私にはとてもわかりやすかった。

 

このノンフィクションを読むと、どうしてもMaryに同情せざるを得ない。生後6日で女王になり、アドバイスを与えてくれる人々に振り回され、宗教的に寛容な支配者であろうとしたことが仇になった。Maryが多くの判断ミスを犯したのは事実である。2回めと3回めの結婚相手が致命的だった。けれども、幽閉された時には彼女はまだ24歳だったのだ。その年令の時に自分がどれほどの判断力を持っていたのか考えると、Maryがミスを犯したのは無理もないと思う。特に政治的な策略を練っている人ばかりに囲まれている場合には。女が統治者になるためには、周囲に気遣いをする心優しさは致命的なのかもしれない。エリザベスI世のようにruthless(冷酷かつ非情)にならないと生き残ることはできなかったと思わずにはいられない。

旅は本当に楽しくて、Outlanderファンならぐっと来るようなスタンディングストーンもゆっくりと楽しむことができた。

 

 

「お城に泊まりたい」という願いも叶えてもらった。

でもMaryゆかりのスターリング城は行ってみたら「撮影で閉館」と言い渡されてしまった。日程を伸ばすことはできないのでこれも運命として諦めるしかなかった。

エジンバラ城はかなり前から(入館時間限定の)チケットを購入していたので、無事に入ることができた。ここも本を読んでいたおかげで濃く楽しむことができた。後にエリザベス1世が世継に選んだジェームズ1世(それまではスコットランドのジェームズ6世を名乗っていた)はメアリー女王の息子なのだが、彼が誕生したのがこの城だった。自分を裏切った夫のLord Darnleyから逃れて出産した部屋も覗き見し、寒空の中で長時間待ってメアリー女王が生後6日目に戴冠した王冠も見ることができた。写真撮影禁止だったので、それらをお見せできなくて残念だが。

それにしても歴史というのは血なまぐさいものである。王や女王の首が飛ぶことは珍しくないのだから。また、エリザベス2世がエリザベス1世の末裔ではなく、エリザベス1世によって首をはねられたMaryの血統だというのもこの旅を機に知った興味深いトリビアである。

エジンバラで偶然にみつけて入った小さなインディ書店「Typewronger Books」のTさんに「スコットランドの作家によるスコットランドらしい本を推薦してください」とお願いして4冊本を購入した。

最初はTelephone Boothで小さく書店を始めたのだというTypewronger BooksのTさんのお薦め本4冊

そのうちの1冊は、メアリー女王の運命を大きく変えることになった事件を題材にした小説である。スコットランドの人気ミステリ作家によるもので、Maryが信頼していた秘書であり相談相手のDavid Riccio殺害のシーンを描いている。
 

先に紹介したAntonia Fraser著のノンフィクションを読んでいたおかげで、この小説の背景がすんなり理解できたのはプラスだった。この小説もMaryを好意的に描いており、やはり悪いのは彼女の2番めの夫であるLord Darnley(ヘンリー7世の曾孫)と、彼を利用してMaryを排除しようとした数々の勢力だったと思わされる。

もうひとつ興味深かったのは、イギリスではチャールズ国王の戴冠式が行われたばかりのタイミングだったのに、スコットランドではどこに行ってもお祝いのディスプレイはなく、誰も話題にしていなかったことだ。「清々しい」といえるほどのシカトぶりに、スコットランドとイギリスの歴史の複雑さを感じたのだが、それを地元の人に確認するのもなんだか気が引ける感じだった。

「状況を幅広く理解するためには、イギリス人作家の本ばかりではなくスコットランド人作家の本ももっと読まないといけない!」と思い直した旅でもあった。

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