英語圏のロマンスにいろいろな定番があることを拙著『新・ジャンル別洋書ベスト500プラス』で説明したが、その定番の中でも特に人気があるのが「Enemies To Lovers(敵から恋人へ)」である。
私もロマンスの中ではこの定番が一番好きなのだが、なぜ一定の読者がこのカテゴリに惹かれるのか考えている最中に流れてきたとある日本の漫画の広告に「これだ!」と思った。ぽっちゃり体型で自信がなさそうな女子大生にかっこいい男子が優しい態度を見せるときのキーワードが「かわいい」なのである。そして、その女子は、「かわいい」という言葉に胸をときめかせ、しがみつく。
アメリカでKawaiiと呼ばれる「かわいい」は日本の文化を象徴するキーワードともいえる。海外から見ると、漫画にしても、ゆるキャラにしても、子供だけではなく大人までが「かわいい」を重要な評価の基準にしている特殊な国だ。その不思議さを楽しむ私の娘のような日本好きもちろんいるのだが、私自身は「かわいい」は好きではない。どちらかというと拒否反応を起こしてしまうことが多い。
この拒否反応は、日本の女性が幼いときから「かわいい」の呪いを受けて育つことにある。女は能力がなくても、美貌がなくても、「かわいい」を達成すれば社会から受け入れられるということを物心ついた時から毎日のように教えこまれる。男性(初期には親や学校の先生、その後は上級生、同級生、上司、同僚)の定めた「かわいい」の条件を満たす努力をする女のほうが、学問や仕事での能力を発揮するよりも評価されることが多い。生まれた時から教え込まれたことなので、この構造(呪い)に気づかない人も多い。呪いに気づかない者は、次の世代にも呪いをかけてしまう。かくして「かわいい」は日本を覆う呪いになってしまったのだと、日本よりも海外の生活が長くなってしまった私は思っている。
私は子供の頃からあまりかわいくなかったし、周囲の大人たちからもそう言われてきたので、「かわいい道」を極めようとは思いもしなかった。10代の頃しばらく鏡を見なかったことさえあるので呪いにかからなかったのかもしれない。
Enemies To Loversをいくつか読むと、ヒロインが「アンチ・かわいい」だということに気づく。英語圏だからもちろん「かわいい」という言葉はないのだが、「女性が男性に好かれるために自分の本性を隠し、頭が空っぽのふりをする」といった行動形式は、英語圏にも存在する。
「アンチ・かわいい」のヒロインは男から「かわいい」と認められたいとは思っていない女性である。努力によって培ったユニークな知識と知恵、仕事の能力を誇りにしている彼女たちにとって、「かわいい」を評価されるのはかえって侮辱なのである。
一方、「かわいい」の呪いをかけられた女たちから常にちやほやされているヒーローは自分からの高い評価を求めてこないヒロインを生意気だと思い、敵対心を抱く。しかし、ヒーローは次第に「かわいい」の評価を求める女たちの退屈さに気づき、自分の思い上がりに蹴りを入れて人間としての成長を促すチャレンジを仕掛けてくるヒロインに惹かれるようになる。これがEnemies To Loversロマンスの定番である。
こういったEnemies To Loversロマンスの代表的な作品をご紹介しよう。
Pride and Prejudice by Jane Austen
Enemies To Loversロマンスの原点。現在のこのカテゴリのロマンスは、すべてここから生まれたと言っても過言ではない。女性の結婚に至るロマンスだけでなく、リージェンシー時代の人間模様が見事に描かれている。
『新・ジャンル別洋書ベスト500プラス』収録
North and South by Elizabeth Gaskell
19世紀後半、産業革命時代の英国の工業町を舞台に、労働者階級に同情するヒロインと工場のオーナーとの思想の衝突と、互いへの理解から次第に育つ愛を描いた小説。
『新・ジャンル別洋書ベスト500プラス』収録
The Hating Game by Sally Thorne
近年のロマンス小説でのこのカテゴリの代表的作品。
職場での最大の敵であるヒーローの上司になることを目指すヒロインは、昇進試験で負けたら会社を辞めることを決意している。だが、2人の憎しみと魅惑の情熱の境界線が危うくなる。
『新・ジャンル別洋書ベスト500プラス』収録<
Book Lovers by Emily Henry
周囲から恐れられているやり手文芸エージェントのヒロインと、以前彼女のクライアントの作品を拒絶した不機嫌な編集者のヒーローとのユニークなロマンス。アメリカの出版業界の内情が面白い。
同作者のBeach ReadもEnemies To Loversで、その作品は『新・ジャンル別洋書ベスト500プラス』収録
The Viscount Who Loved Me by Julia Quinn
Netflixで人気のブリジャートンのシリーズの#2。ブリジャートン家の長男でViscount(子爵)のAnthonyが地位にふわわしい結婚相手を選んだのだが、その相手の姉はAnthonyは放蕩者だと思い信用していない。妹を守ろうとして邪魔をするヒロインと、そのヒロインに苛立つヒーローがいつしか理解を深めていくというもの。
このシリーズの第一巻は、『ジャンル別洋書ベスト500』に収録
The Spanish Love Deception by Elena Armas
スペインからアメリカに移住して同僚からも高く評価される仕事に就いたヒロインだが、職場に一人だけ自分をターゲットにして嫌味をする男性の同僚がいる。ヒロインは妹の結婚でスペインに戻ることになったが、ボーイフレンドもいない独身のままでは戻りたくない理由があった。困っているヒロインに、職場の敵がボーイフレンドのふりをして一緒に結婚式に行ってやることを提案した…。2021年のGoodreadsのデビュー小説の分野で賞を受賞した作品。